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2011年5月24日火曜日

20ミリシーベルト撤回! 福島より上京、文科省交渉

文科省交渉は確か3度目ではなかったでしょうか。
いつまで立っても、だだ漏れの放射能の下で、ろくな対策もないまま放り出されている子供たちの状態に、福島のお母さんたちが、追い詰められた気持ちで文科省へやってきました。
それでも、文部大臣は出てこない。










































ミヤシタ隊員が事前告知に次のようにMLでウシトラ旅団に回していました。

『文科省は、福島の代表団に対して「政務三役(大臣・副大臣・政務官)は対応しない」と決めました。
福島県全市の教育委員会は今年のプールの断念を決めました。
文科省の対応はもはや福島の子どもたちに対する棄民化です』




さすがにウシトラ旅団メンバーは頭から湯気を噴いたのでした。
行けるやつがぞくぞくと文科省前へ向かいました。
福島からは、お母さん、子供も一緒にと、バス2台70人で上京。
彼らに心を寄せるものたちが500人ほど。
交渉の行方を見守ったのです。
母親たちの気持ち、訴えは、映像で見てください。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1063


以下、役にも立たぬウシトラ旅団員ですが、参加報告と決意を書いておきます。
(旅団長)



★ミツトシ隊員
福島の子供たちの「学童集団疎開」を何とか実現できないものかと、力ない一人として、ヤキモキしております。
いわき市を訪問した折、佐藤かずよし市議と懇談し
「子供たちを放射線被爆から守る手立ては集団疎開の他にない」
という話を聞き、その重い選択に躊躇を覚えながら、考え続けてきました。


22日、反原発自治体議員結成式も、その趣旨から傍聴に行きましたが、あの場は、そうしたことを実現する場所として、少し距離感があるという印象でした。


23日、福島の父母たちの文科省前の交渉を、ギャラリーとして支えようと参加、傍聴してきました。
メディアもこれまでのような無視、看過はできず、昨夜TVや新聞でも報道しています。


雰囲気は、かつてどこかで見た「大衆団交」を思わせました。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110524k0000m040106000c.html


「学童集団疎開」は夢ではなく、運動として実現するに足る目標として目に見えてきた気がしています。
福島から来た父母たちは、受け入れ先さえあるなら、すぐにも避難したいという切迫した事情を抱えていることが伺えました。
被災地、支援者、支援自治体、支援団体、ボランティア…を糾合する企てが必要です。






★塩爺
福島瑞穂議員のアイシャドウが涙と雨で崩れ、顔半分が黒くってなっていたのが印象的でした。
(昨日に関して言えば、彼女はすごく頑張ったと思います)
福島の保護者と文科省、議員とのやり取りは、支援者が多いのと(500名位)、マイク音量が低すぎてよく聞きとれなかった。
 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110524k0000m040106000c.html




★アカハネ隊員。
係長クラスで対応、問答無用のトップに、旧文部省庁舎を怒りの数珠つなぎ。逃げられない中庭コーナーで、かつての「大衆団交」を思わせる迫力でした。
さらに追いつめるべく、もっと見える、もっと聞こえる工夫、広がりを。


遅れて着いて地下鉄を上がるとき、マイクの叫びとどよめきが。手を叩きながら地下鉄に下りる女性も。旧文部省庁舎を一周し、ロビーの壁をよじのぼって見てると、女性が続き、「ちょっと助けて」と請われて手を出して引き上げると、自力で続いたのが懐かしい仲間Kさんでした(カバンを下に置いたまま)。


ある参加者のツィートから:
東京で運動の「ピーク」となるべきデモは、その先頭は福島の人々の隊列ではないかと。そういう態勢になったとき、東京のデモが「首都圏」のローカルデモの次元を超えていくのだろうと。今日の文科省中庭は、その祖型のように感じました。
もはや東京は、首都圏在住者の「脱原発運動」の場という段階から、「福島の原発事故被害者の運動の場」でもある、そういう段階にきたと思う。東電前や文科省中庭に(かつて丸の内のチッソ本社前歩道に、水俣病患者さんが設置したように)座り込みテントが常設される、そういう日が来ても不思議はない。
だから、東京で運動する人(自分も含めて)にとって、この東京は「わたしたち」だけが闘う場所ではない。東京という街は、福島や東北の原発事故被害者が闘う場所にもなった。
・・・首都圏に住む私たちが何を思考するか。


この方は仕事仲間で、ツィッターにフォローしていると通知あり、プロフィールをスクロールして読んで感嘆。




★ミヤシタ隊員
「大衆団交のようだな」というささやきは私もずいぶんあの場で耳にしてなるほどなと思いました。


このまま続けても官僚は絶対、撤回とはいわない、撤回させるのは別の次元の闘争なんだろう、ともずっと感じていました。
チッソ本社の座込みは私も思いましたが、私の世代はむしろ、厚労省前での薬害エイズ被害者の泊まり込みや派遣村を思いました。


ただ、赤羽さんの引用してくださった「福島の人々が先頭に」というのはちょっと違うなあ、とも感じています。


今、福島の親たちが切実に求めているのは、子どもたちをいますぐ安全な場所に避難させてほしい、現に被曝され続けている状態を何とかしてほしい、ということなのではないかと思います。


これから実際に健康被害も出てくるかもしれないし、小児がんの集団検診なども含め福島は大変シビアな状況に入っていくでしょう。
水俣病や原爆被爆者と同様、どこかで線引きがなされ、大量の「未認定被爆者」が生み出されるでしょう。
たくさんの裁判も起こされるでしょう。
チッソのように東電本社前の座込みもあるかもしれません。
福島の人たちを先頭に、というのはその段階での事のように思えてなりません。


福島の親たちはいま福島で闘うか、避難するかのどちらかです。
東京で闘わないといけないのはあくまで私たちだと感じます。
それより、「福島の子どもたち・無料サマースクール」「疎開プロジェクト」みたいなもの考えられないかなあ・・・
受け入れ態勢があれば今すぐバスで迎えにいってもいいくらいです。




★破鍋さん
文科省の交渉を終わって、参院会館での集約集会では~
全体の参加者500人、福島からバス2台で70人の参加が報告されました。
福島の参加者20人位が一言ずつ「子供たちを守らなければ」と発言されました。
赤ん坊を実家に預けて参加したお母さん、子どもと妻を会津地方に疎開させているお父さん。高・中・小と3人の子供のお母さん、孫のためにと参加したおばあさん・・・
「20ミリシーベルトの撤回」
予算が無いからなどとモニタリングや除染措置を取らない行政に~ 「お金は、東電や政府に責任を持ってもらえばいい」と訴えていました。


参議院の行政監視委員会で「原発事故と行政監視の在り方」をテーマとする参考人質疑を終わって駆け付けた小出裕章さんは、
「子供たちには何ら責任はない。私たち大人が声を上げなければ」と簡潔に訴えまし
た。


私が行く前には、民主党の原口議員の発言もあったようです。


★茶水幽玄隊鉄兵
ビルの上から我々を盗撮していた奴がいた.「ビルの上でビデオを撮っている人がいる.あれを撮って」なんて,誰か女性の人が言っておりましたが,その要望にお応えしときます.

当日については,多くの隊員が報告しているので,役立たずの幽玄隊として特別付け加えることはありませんが,写真を撮るのに邪魔なマスコミにいらだって
「おまえら本当のことを報道しろよ」とか何とか,口走っていた自分がおりました.
それから私の韓国人の友人が一人参加していたことも報告しておきます.






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