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2011年7月8日金曜日

6・26 福島アクション 報告記

「<フクシマ>というとき、ああ、<フクシマ>と、やさしくこたえてくれるだろうか」
栗原貞子の詩を心のうちで言い換えて、旅団長は福島入りをしていたのでありました。
好きな詩人とはいえないのに、<ああ、ヒロシマ>を呼び起こす、この詩ばかりはずっと胸のうちで鳴り続けております。
フクシマは福島市ばかりでなく、避難地区には指定されていない福島市も郡山市も二本松市も、まったく、<フクシマ>として、旅団長は意識せざるをえない。
実際、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニに続く、4度目の被爆地となってしまったのでありました。まったく、日本人は、人類は、何をやっているのか!
福島市で大きな集会をやることに、批判を持つ人がおります。実態としてはこれは正しいのです。それくらい福島市は放射能の線量が高くなっている場所があります。
それでも、ここからはじめなければならない、と考えた人たちがおり、それに応える道を、わがウシトラ旅団は選んだのでありました。
フクシマを再生させる道は、一方で、東京電力と政府の責任をはっきりさせて、人々の命と健康を守っていく、ということでなければならないと旅団長は思うんよ。
少なくとも、ウシトラ旅団は、その立場から、このフクシマでのイニシアチブを強化していく支援をしていくつもりです。            ★旅団長


★ミツトシ会計長

626日(日)「グッバイ原発!さよなら放射能!!」福島アクションに、東京から旅団長、会計長の2名で参加してきました。
旅団長は、この日に先立つ3日前から宮城、郡山にヒアリング行脚に行っており、旅先から会計長に「福島パレードに参加するのでウシトラ旅団ののぼり旗を持参するように」という御下命があり、これに色よい声音で応じた会計長も旗をもって福島入り。県庁前で合流したのであります。




この日は朝から雨で、集会開始時の午後1時半には本降りとなるあいにくの天候。会場となった福島県庁前広場は、参加者の色とりどりの雨傘で溢れました。以下は会計長の印象に残った発言のいくつか。

主催の佐々木慶子さん(6.26福島アクションを成功させ隊)。「フクシマは原発被災地として世界に名を馳せてしまった。だから、フクシマからこそ世界に向けて脱原発のメッセージを発信しなければならない。佐藤雄平県知事の責任は重大だ。県庁前で声を上げることの意味は大きい」。



「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」の佐藤幸子さんは、対文科相交渉にたびたび東京に来て、鋭い舌鋒でアホな官僚に迫る姿がユーチューブで報告されている人。「今、子供たちを山形に疎開させている。先日、高校生の息子から涙ながらに『僕だって友達に会いたい』と訴えられた。こんなことがどこの家庭でも起きているのが現状です」。

相馬市で「エム牧場」を営む吉沢さんは、「300頭のウシを育てている。国から他の牧場仲間も含めて、殺処分の説得が続いています。餌も与えられず牛舎のなかで痩せ衰えたウシたちが折り重なるようにして死んでいる。こんなことが許せるか!私はウシたちの命をたとえ一頭たりとも無駄にはさせたくない。せめて、放射能汚染の影響を調べるために役立たせたいと思っている」と、声を詰まらせながら訴えていました。



雨の降りしきる中をデモが出発。東京から、太鼓など鳴り物持参で駆けつけた一団がしんがりをつとめます。デモは福島市内のメインストリートを一周するコース。
東京のデモとは違うのは、道で出会う人たちの表情です。無視や冷笑といったものは微塵もなく、ただただ、マジマジとデモ隊を見送る表情がなぜか印象に残った会計長でありました。県都のデモは効果甚大だったように思います。

解散地点で佐々木慶子さんから、この日午前中のイベント「生活村」の会場となったMAX福島のAOUZ(アオウゼ)に、この集まりを今後に活かすため1週間後に再び集まろう、との呼びかけがありました。
旅団長は、福島在住者ではないけれど、そこに参加することを決めました。福島の運動は産声をあげたばかりのようです。(文責:会計長)

この日、宣言文として読み上げられた文書が、困難な中でずっと反原発運動や避難・疎開に取り組んできたお母さんの間で、「涙が出た」「共感いっぱい」と、話題になっています。
いま少し、整理と補強をして、改めて公開がされるようです。
旅団長は、独断で、会場で読み上げられた宣言文を掲載することにいたします。
たとえいま不十分と主催者が判断しているとしても、それより、時間的な早さのほうに意味があると考えるからです。完成したものが、公開されたときには、あらためてそれを、このブログに掲げることにいたしましょう。
この日の集会と「ハンカチパレード」を準備したお母さん方は、その後、「グッバイ原発! ハンカチの会」を結成しました。福島市の自立した運動の始まりを応援したいと思います。    ★旅団長



6、26  宣言文


私は  この場で皆さんに問いたい。

ふくしまは死んでしまったのか?
地震で津波で、愛する家族を、友人を、失った。

ふくしまは死んでしまったのか?
いいや、我々は、このふくしまで生きている。
そして叫びを上げている
ふくしまを遠く離れようとも、こころを同じく叫びを上げる人たちがいる。

ふくしまは絶対に死んではいない。

我々はどんなことがあっても生き続ける。
我々が生き続ける限り、我々の子供たちが生き続ける限り、ふくしまは必ずよみがえる。
必ず、新しいふくしまになって、よみがえってみせる。
もう一度言おう。ふくしまは絶対に死なない!

県議会も脱原発に大きく舵を切った。
ふくしまは新しいエネルギー、新しい社会、その入り口に立った。
市民も、政治も行政も、企業も大学も、全ての叡智を結集して希望の新世界を創り出すときが  きている。
皆さんもその一員だ。

命を守り、安心して生きていける世界を、必ずつくりだす。
今、ふくしは、世界のふくしまになって、ふくしまから世界に向かって、  声を限りに、  以下を宣言する。

①国・東京電力は世界中からの協力と知恵を集め、
一刻も早く原発事故を収束させなければならない。

②大震災被害者の救援はもとより、国・東京電力は 原発事故被災者への十分な補償を迅速に実施しなければならない。

③国・東京電力、そして県は、将来の放射能による健康被害から国民、そして県民をあらゆる方策を尽くして守らなければならない。


④とりわけ放射能の影響が最も危惧される子ども・妊婦等を一刻も早く避難させ、背負う理由のない危険から遠さけなければならない。


⑤その背負う理由のない危険を、詭弁を弄して国民・県民に押し付ける輩は、 即刻ふくしまから立ち去らねばならない。


⑥原発事故は人災である。その人災を起こしたのは、それを推進する国・東京電力、それを受けいれた福島県である。
それぞれが県民に、国民に、世界に、「安全と安心」を守れなかったことを  謝罪せねばならない。
⑦福島県民は、その原発に対して、もっと関心をもって、事故を阻止できなかったことを  反省しなくてはならない。

⑧そして、我々はエネルギーの無駄遣いを控え、今までの暮らし方を見直さなければならない。

⑨そのような反省に立って、福島県民の総意により
福島原発全機の廃止を宣言し、真に安全なエネルギーを創り出し利用する、「新エネルギー社会」を 目指さなければならない。福島県は  その先進的モデル特区として復興せねばならない。

⑩この大震災と原発事故という未曾有の大災害を通して、国のあり方、国民の命、暮らしを根本から見直し、甚大な犠牲・被害からの復興を根本から見直し、  甚大な犠牲・被害からの  復興を 固定的観念や固定的価値観から脱却して、市民・県民の視点により、そして政治・行政・産業・学術が 新たな視点から、あらゆる叡智を結集して社会を再構築させねばならない。 
これは、大きな過ちを犯してきた人類の愚かさからの、独立宣言に他ならない。

 今こそ世界に向かって真の独立宣言を叫ぼう!この言葉を唱えよう。

 グッバイ原発!さよなら放射能!
 もう一度~
 グッバイ原発!さよなら放射能!


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