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2011年9月26日月曜日

フクイチは今も危険

久方ぶりにサキタマ方面隊リテラシー強化班の塩爺の力作がMLで回りましたので、公開することにいたします。
たかだか数十人のウシトラ旅団の作戦部だけにとどめて置くには惜しい分析です。
本人は、個人的な備忘録とケンソンしておりますが、いつもながら冷静なアプローチと分析に脱帽であります。
塩爺は、けっして自分の見解を絶対的なものと考えているわけではありません。
むしろ、誤りの部分や不十分なところがあれば、どうか指摘して欲しいと言っています。
多くの人とともに考え、討論していければと、旅団長も願っております。
真実に少しでも迫っていくには、このスタンスしかありません。
読者の皆様にご協力を願い奉る。
★旅団長

***********************************

●「いまだにフレッシュ放射性物質が飛んで来る」というのが現実です 
原子炉から環境中に漏れてくる放射性物質が、1時間当たり最大で2億ベクレルあるわけですから。 
メルトダウン、メルトスル―した崩壊熱状態にある核燃料、および炉心の残留核燃料から、フレッシュな放射性物質が今も強力に飛散していると考えています。 
フレッシュには次の2点の可能性があると考えます。 


1、「新たに生成された核分裂生成物 (放射性物質)」ではなく親核種が減って、孫核種が増えてフレッシュな放射性物質が放出されているケース。 
核分裂生成物の量のピークは3.11の原子炉停止時です。 
半減期が秒単位から数日単位のものは、すでに炉内からも環境からも消えて今残る半減期が比較的長いものが、崩壊熱状態の核燃料から今でも放出され続けている(漏れ続けている)ケースです。 


2.新たな深刻な事態発生(「福島第一原発で地割れがおきており、水蒸気が噴き出しています。」を含む)のケース。 
*新たな深刻な事態のリスク(可能性)の度合いは、一度、ドロドロに溶けた(メルトダウンまたはメルトスル―した)あと、固まった核燃料の形状に依存します。 
その形状が現状では不明ゆえいろいろな事が想定されます。 
*現状、溶けて固まった核燃料は、残留熱と崩壊熱をもって、格納容器の下、一部はそれを突き抜けて留まっていると想像されます。 
火山の溶岩は自然冷却して最後は固まりますが、核燃料は固まっても内部で崩壊熱が維持されるので怖いのです。 
また、核燃料は放射性物質の塊ですから、強い放射線を発生し続けます。つまり、これが「フレッシュ」ということです。 
*一番怖いのは、球に近い形(たとえば、フットボール状)に固まった状態です。再臨界の可能性が高くなるということです。 
ばらばらに飛び散った形状や、平たい形状であれば再臨界の危険性は軽減されます。 


●新たな深刻な事態の可能性 
1.水素爆発(既に3月に発生し、放射性物質をまきちらし、東日本全体がほとんど汚染されました。空間汚染から始まり、今は落下、沈着して土壌汚染、植物(農作物)汚染、水汚染等が問題になっています) 
2.水蒸気爆発(水素爆発以上の威力があり、もし起きたら桁違いの放射性物質が飛散し、首都圏も含め即避難になる程怖いものです。チェルノブイリは水蒸気爆発で した) 
3.再臨界(チャイナシンドローム)は、最悪のケースで今の技術では制御不能になる可能性が大で、大規模な再臨界が起きれば東日本は即全員避難です。 
再臨界の熱で核燃料が再度溶け出し、それが大量の水と接触して水蒸気爆発につながる可能性もあります。 
 ・水蒸気爆発が起きるとしたら、 
 ① 冷却ストップ→再溶融→大量の溶けた核燃料が水と接触 
 ② 冷却ストップ→再溶融→再臨界→大量の核燃料が溶ける→水と接触 
 のどちらかだと思います。 
 ・水素爆発も、現状、炉内で様々な化学反応が起きていて、水素が発生しているので、危険性も十分にあり得ると考えます。 
*一番怖いのは、再臨界です。(部分的再臨界も含めて) 
再臨界と崩壊熱状態(放射性物質の崩壊によって生ずる熱)による再溶融がごっちゃになっているケース(ブログ、マスコミ等)を多く散見するため自分なりに整理しました。 


http://www.bousai.ne.jp/vis/bousai_kensyu/glossary/ho02.html(崩壊熱) 
再臨界は核燃料が固体のままでも起こりえます。また再溶融した場合は、多くの核燃料が一塊になるので、再臨界の可能性が高まります。 
崩壊熱状態の固まった核燃料を再溶融させないためには冷却しかありません。 
汚染しきった冷却水を海や地下に垂れ流しながらの最悪のトレードオフで。 
ニュースによく出る冷却水浄化装置(よく故障する)は、この汚染水を浄化するためのものですが、私は気休め程度の浄化しかできていないと思っています。 
結果、海洋汚染、地下水汚染は、想像するだけでも恐ろしいものです。 


★以下のような情報もあります
CTBTの8月12日発表 http://bit.ly/n3dOPN のP.11には8月11日捕集開始8月12日捕集終了の行に129Te、129mTeが出てます。 
アンチモン129(129Sb)がベータ崩壊してテルル129(半減期=70分)になる場合があるようです。 
http://environmentalchemistry.com/yogi/periodic/Sb-pg2.html#129 
ただ、アンチモン129の半減期は4.4時間です。 
テルル129mもベータ崩壊でテルル129になります。 
http://environmentalchemistry.com/yogi/periodic/Sb-pg2.html#129m 
また http://www.acro.eu.org/OCJ_jp#15 
によれば、小名浜港のアイナメとクロメバルから7月23日に129Te出てます。 
この129Teはテルル129m(半減期=33.6日)が崩壊してできたもの(できつつあるもの)と考えれば、一応、納得が出来ます。 
ヨウ素については http://www.gesui.metro.tokyo.jp/oshi/infmenuoshi.htm 
から過去の「下水処理における放射能等測定結果について」を拾ってゆくと脱水汚泥からは殆どずっと出続けてます。 
テルル129もテルル129mもベータ崩壊してヨウ素129(半減期=1570万年)になります。放射性ヨウ素なので、当然、甲状腺に集積し、甲状腺ガンの発症 率を高めます。 
現在、検出、不検出が地域によってバラツキが起きているヨウ素131もまだ知られていない、崩壊系列で発生した可能性があります。 
以上より、空間線量測定以外に、土壌検査、食物検査、飲料水検査 が極めて重要です。 


除染、避難、疎開は今日現在も、重要課題と考えます。 
当然、子どもの内部被ばく検査も重要です。 
                        ★リテラシー強化班・塩爺 

2011年9月24日土曜日

もみもみ肉球班報告『福島いわき 被災者の現状』

9月19日 東京で大規模な反原発集会・デモのあったその日。
なさけな隊 整体治療班(もみもみ肉球班)は今後の福島いわきでの活動を視野に、被災者・避難者の現状把握のためいわき小名浜ボラセンを訪ねた。

「災害支援」から「復興支援」と名を変えたいわき小名浜ボラセン。その被災者支援活動は大きく変化しつつある。

これまで体育館などを利用しての避難所生活は以下のような形態に移行している。
・半壊などした建物を補修して自宅に戻る。借家、アパートなどを探し自主的に生活を始めた人
・県や市町村の借り上げた住宅、旅館などへ移った人
・仮設住宅の完成を待って入居した人

今回ボラセンの人見さんの案内でいわきニュータウン(中央台ニュータウン)の仮設村にお邪魔した。県所有の公園やニュータウンの幼稚園建設予定地、市の土地開発公社所有地を利用して一大仮設村が出現していた。



1・広野町民が入っている仮設村






2・太陽光パネルが印象的な放射線測定機            

全戸数1,000というスケールでここには広野町民、楢葉町民が入居していた。広大な土地に十数か所に分かれて仮設住宅の固まりが村のように点在している。
中にはペット可という村もあっていろいろ考えられた造りに見えた。その中でもひときわ目立つのが木造の仮設。遠くから見ると貸別荘のコテージのような佇まい。

3・楢葉町民が入っている木造仮設村              


一方岡の上には我々がよくTVなどで見るプレハブの一群もあり、かなり差を感じる。この木造仮説には実は楢葉町民が入居しているようだ。
20km圏内「警戒指定区域」の楢葉町民への配慮? 逆に言うと「長期になりますのでこのようなもの、用意させていただきました」ってこと?
*20日に、広野の帰宅は来年いっぱいはかかると発表があったようだが・・・・
4・貸しバンガローのような造り


一方小名浜ボラセンは雇用促進住宅に入居した被災者・避難者を「サロン」という活動で支援している。どういった人達が入居しているのかボラセンにも情報が未だないようだが、ちょっと調べたところ双葉からの原発避難者が多いようだ。
ボラセンではお茶会、書道教室、手芸教室などをひらいているとのことだが、今一つ軌道にのっていない模様。



5・いわき市下神白にある雇用促進住宅



仮設村にはNPOいわき自立生活センターが「中央台暮らしサポートセンター」を開設しており、各「村」の管理棟掲示板を見てもかなりの支援が入っている様子。見た感じでは仮設村よりは雇用促進住宅の方に「孤立感」の危険を感じた。


ノボ先生の意向もあり支援が薄く感じられる雇用促進住宅被災者を支援するボラセンの「サロン」活動に便乗して整体治療支援を行いたいという結論に達した。

来月10月23日(日)を初回訪問とし、月に1回というペースを目指すというノボ先生からの力強い宣言もあり、なかなかに収穫の多いいわき訪問であった。
                        ★なさけな隊ソメビン







2011年9月23日金曜日

9.21『将来を想うハンガーストライキ』 

経済産業省前で9月11日よりハンストを行なっていた4人組。旅団長もあの暴風雨の中でどうしているのかと気にしておりました。
そこは、気持ちの優しいテラ隊員。ハンスト貫徹を応援に行っていたようです。
えらいぞ、とにかく無事に21日までの予定をやりきったそうです。
自分たちで土俵をつくり、やりきった若者4人に拍手!   ★旅団長


15時から衆議院第一議員会館・第6会議室(地下1階)で請願書の提出と記者会見をするということで行ってきました。
予定を30~40分過ぎても始まらず――会見場のMCの説明を要約すれば、「メディアのいる会見場で請願書を受け取ると、省内で未確認のことなどについて言質を取られたらぼく困る」と窓口担当が会見場に出るのを拒否とか。
隣の第二議員会館での若者4人とやり取りした後に来場しますとのアナウンス。






やがて若者4人が到着。断食11日で舌なめらかならずも元気で質疑応答。
ハンスト後の感想や、米人記者の質問に答えて上関原発周辺の住民意識の違い、なかには最初に食べたいものは何? というなごむ質問まで。
印象的だったのは、これから何をやっていくか…。
4人に共通していたのは、考え方の違うひとを含めて、身近なひとたちとの対話を以前よりもっと積極的にやっていきたいとのこと。根気のいるテーマだ、と自身のことも考えつつ思いました。
そして、17時に向かって会場内でカウントダウン…拍手のうちに会見は終了しました。 


1階エントランスから外を望むとこれでもかの暴風雨。
レインウェア役立たずずぶ濡れの後、鉄道の運休等に翻弄されて朝帰りでした。
                         ★なさけな隊 テラ

2011年9月22日木曜日

9.19 結節点、そして始まり

★「さようなら原発1000万人アクション」明治公園
大変な集会・デモでした。
ひょっとしたら、旅団長がこれまで経験した集会の中でいちばん大きな集会だったかもしれません。




明治公園でのこの集会と、3方向へ向かったデモの言いだしっぺは、鎌田慧さんだったと思います。
彼は「きょうの集会は、これまでの集会の一つの結節点。そして、これから始まる集会の出発点」と、挨拶されたようです。
(なにしろ6万人も集まれば、端っこに陣取ったわがウシトラ旅団には、どんな集会になっているのやら、ほとんどわからなかった)。






集会へ向かう経過や、実行委員会の構造など、私には、不満たらたらであります。
率直にいえば、わが肌合いに合わぬし、その旧の原水禁運動よりももっと重要で緊急の課題が目の前に突き出されている、と思ってきました。
その旧の発想やイニシアチブに取りこぼされた最重要の人々がいる、とも考えてきたのです。
にもかかわらず、これまで長い間、分裂が固定化されてきた日本の原水禁運動、反核運動の勢力が、曲がりなりにもここに総力で集まったことは、まことに喜ばしいことでありました。
まさしくそこに、福島からの人々が、困難な中からやってきたことに「結節点で、始まり」を見るのです。






ウシトラ旅団にとって最重要は、ハイロアクション福島の武藤類子さんの以下の訴えです。
あの盛り上がりの喧騒の中で、この訴えにひっそりと涙を流し、食い入るように発言者を見つめていた福島の人々と、そこに心を寄せる人々の魂に、ウシトラ旅団は希望を見ます。
武藤さんの言う「東北の鬼」に応えるために「七たび旅して、丑寅の義兵とならん」の、ウシトラ旅団はあるのであります。






☆ハイロアクション福島の武藤類子さんのアピール


みなさん、こんにちは。
福島から参りました。
今日は福島県内から、それから避難先から
何台もバスを連ねてたくさんの仲間と一緒にやって参りました。
初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。
それでも
「福島原発で起きた悲しみを伝えよう」
「わたしたちこそが原発いらないの声をあげよう」と
声を掛け合い、誘い合ってやって来ました。


はじめに申し上げたいことがあります。
3.11からの大変な毎日を
命を守るためにあらゆることに取り組んできた
みなさん、ひとりひとりに
ひとりひとりを深く尊敬いたします。


それから
福島県民にあたたかい手を差し伸べ、つながり
様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。
ありがとうございます。


そして、この事故によって
大きな荷物を背負わせることになってしまった
こどもたち、若い人々に
このような現実を作ってしまった世代として
心から謝りたいと思います。
本当にごめんなさい。


さて、みなさん。
福島はとても美しいところです。
東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。
桃、梨、りんごと、果物の宝庫の中通り。
猪苗代湖と磐梯山のまわりに黄金色の稲穂がたれる会津平野。
そのむこうを深い山々が縁取っています。
山は碧く、水は清らかな、わたしたちのふるさとです。


3.11 原発事故を境に
その風景に目には見えない放射能が降り注ぎ
わたしたちは被曝者となりました。


大混乱の中で、わたしたちには様々なことが起こりました。
素早く張り巡らされた安全キャンペーンと不安の狭間で
引き裂かれていく人と人とのつながり。


地域で、職場で、学校で、家庭の中で
どれだけの人が悩み、悲しんだことでしょう。


毎日、毎日、否応無く迫られる決断。
逃げる、逃げない。
食べる、食べない。
こどもにマスクをさせる、させない。
洗濯物を外に干す、干さない。
畑を耕す、耕さない。
何かにもの申す、黙る。
様々な苦渋の選択がありました。


そして今
半年という月日の中で次第に鮮明になってきたことは
事実は隠されるのだ。
国は国民を守らないのだ。
事故は未だに終わらないのだ。
福島県民は核の実験材料にされるのだ。
莫大な放射能のゴミは残るのだ。
大きな犠牲の上になお原発を推進しようとする勢力があるのだ。
わたしたちは捨てられたのだ。


わたしたちは、疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも、口をついてくることばは
「わたしたちを馬鹿にするな」
「わたしたちの命を奪うな」です。


福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
子どもたちを守ろうと母親が父親が、おじいちゃんがおばあちゃんが。
自分たちの未来を奪われまいと若い世代が。
大量の被曝に曝されながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと
労働者たちが。
土地を汚された絶望の中から農民が。
放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障害を持った人々が。


ひとりひとりの市民が、国と東電の責任を問い続けています。
そして「原発はもういらない」と声をあげています。
わたしたちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。


わたしたち福島県民は
故郷を離れる者も、福島の土地にとどまり生きる者も
苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きて行こうと思っています。


わたしたちとつながってください。
わたしたちが起こしているアクションに注目をしてください。


政府交渉、疎開、裁判、避難、保養、除染、測定、
原発・放射能についての学び。
そしてどこにでも出かけ、福島を語ります。
今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。
思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。


わたしたちを助けてください。
どうか、福島を忘れないでください。


もうひとつ、お話ししたいことがあります。
それは、わたしたち自身の生き方、暮らし方です。


わたしたちは
何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。
便利さや発展が、差別や犠牲の上に成り立っていることに
思いを馳せなければなりません。
原発はその向こうにあるのです。


人類は地球に生きる、ただ一種類の生き物に過ぎません。
自らの種族の未来を奪う生き物が、他にいるでしょうか。


わたしはこの地球という美しい星と調和した
まっとうな生き物として生きたいです。
ささやかでも、エネルギーを大事に使い
工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。


どうしたら、原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか
誰にも明確な答えは分かりません。


できうることは
誰かが決めたことに従うのではなく
ひとりひとりが、本当に本当に本気で自分の頭で考え
確かに目を見開き
自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。


ひとりひとりにその力があることを思い出しましょう。
わたしたちは誰でも変わる勇気を持っています。
奪われてきた自信を取り戻しましょう。


原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば
限りなく横に広がりつながり続けていくことがわたしたちの力です。


たったいま隣にいる人とそっと手をつないでみてください。
見つめ合い、お互いの辛さを聞き合いましょう。
涙と怒りを許し合いましょう。
いまつないでいるその手のぬくもりを
日本中に、世界中に広げていきましょう。


わたしたちひとりひとりの背負っていかなければならない荷物が
途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても
目をそらさずに支え合い
軽やかに、朗らかに生き延びていきましょう。








★悩み深けれど、福島の人々とともに
ウシトラ旅団はすっかり6万人の中に埋没しそうです。
でもね、やれることをやるのです。
脱原発の掛け声も大事だけど、具体的な行動をここに集約し、そして、またここから具体的な行動に出発します。
ひとつひとつの行動は、本当にハイロアクションの武藤さんの言うように、「これが正解」とは言い切れない難しさがあります。
それでも、うろうろおろおろしながらでも、ウシトラは進みます。
この日の集会には、東京都心で「夏休み保養」に関わったメンバーや、埼玉で「放射能防御」の活動で奮闘した仲間が参加しておりました。
あるいは、東北地方へ炊き出しに向かったアジアのお仲間がおりました。






今日からの始まりは、ウシトラ旅団の悩みも伴う活動の深まりでもあります。
いくつかのプランを再構築して、また、ウシトラ旅団は、丑寅方面へチャレンジする準備を始めています。








活動家ではなかった人々が、これほど心深く、粘り強く、想像力豊かであることに、旅団長はまたあらためて感動しているところです。
「やれることをやる。好きなことをやる。できることを一緒にやる!」
秋からも、また前へ進みます。


(おっと、世にはつまらん気を回すアホもいるようなので、注! ここに写っているデモ参加者は、ウシトラ旅団とは組織的には無関係な人もいるからね。要は、いっしょに脱原発や福島の子供たちを守ろうとする、広い意味でのお仲間のデモの様子を、勝手に撮影しただけ。……どうやら、山本クンについては、鉄兵隊員がファンらしいという不純な動機らしいが…。いや、山本太郎くん、よくやっている。リスペクトだぜぇ)














★三単産、東電抗議行動
明治公園の集会の前に、ウシトラ旅団は、東電への抗議行動に参加してきました。
ウシトラMLで、小名浜地区労(全国一般いわき自由労組のKさん)より、事前に「武闘派はこちらへどうぞ」と、呼びかけがあったからでした。


好き者は多いとはいえ、ウシトラは決して武闘派ならず、いまや踊れぬ舞踏派ばかりであります。
それでも、いわき自由労組とは、震災直後からなじみが深く、また世話もかけ、ここからのお誘いには、すぐに行っちゃうもんね。


抗議行動は、全港湾、全国一般全国協、全日建連帯の3単産のいずれおとらぬ猛者たち。
まぁ、なさけな労働運動花盛りだった日本の労働運動の中では、やる気をなくさぬ「武闘派」ぞろいでありましょう。
これに、全港湾東北地方小名浜支部の代表者を加えて、申し入れ団を結成して、東電へ「要請行動」をやったのでありました。
新橋のSL前で、出撃準備を整えて鬨の声を上げ、東電へ向かったのでありました。






要請は3点。
一、福島第一原発事故を早急に収束させ、廃炉とすること。
二、自主避難などを含めた福島原発に起因する全ての被害について、将来の影響まで全額補償すること。
三、現在休止している原発の再稼働を行わないことと、今後、新規の原子力発電の建設を一切行わないこと。










あ・あ・あ、あったりまえの要求だんべ。
ウシトラ旅団も一緒にシュピレヒコール。あな、このスタイルなつかしや。
東電は、ガードマンとおまわりさんに守られて、門も開けようとしない。






社員なのか、門の内側まで出てきて、えへらえへらと薄ら笑いしている奴がいる。
こんな対応をそのままにして印象をわるくしているんだから、やっぱり東電はアホな会社だわ。





踊れぬ武闘派は口ゲバ隊。
「こらぁ。無礼者。抗議団を中に入れんか!」
「申し入れ代表は、帰ってこなくていいよ。中に入って座り込んでろよ」

SL前で「あのぅ…組合員じゃないんだけど、いっしょにこの黄色いリボンつけてもいいんですか?」と、しおらしく答えた、さっきの旅団員の態度はどこへ行ったぁ。










ともかく350人の元気な部隊で東電前の抗議行動。
よけいな、ぶら下がりのようなウシトラ旅団ではありましたが、労働者の力強いアピール行動をいっしょにやりました。
東電は、はっきりいえば政府や原発マフィアの「共同体」による被害補償制度の中に逃げこみを図るのがかれらの「展望」です。
ここは徹底的に追求していかなければなりません。


加害者は加害者として、裁かれなければなりません。
裁くものは、福島の人々をはじめにした事故被害者であり、その被害者の側の立場に立つ労働者でなければなりません。
現に被爆労働を強制されている人々を守っていくのも、この東電前に来た労働者たちこそが中心になるでしょう。
役立たずどころか、東電と利害を一致させ同じ歩調をとる電力総連の指導部なんか、東電と一緒にさよならしてもらわなければならんということです。
                           旅団長