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2011年10月26日水曜日

10.23  いわき小名浜地区サロン事業へ初陣なり~!

いわき市小名浜地区災害ボランティアセンターから名前を「いわき市小名浜地区復興支援ボランティアセンター」に変え、新たな活動に乗り出した小名浜のボラセン。


その始まりが、サロン事業なのであります。


ずっと、いわき・小名浜に入り続けてきた、もみもみ肉球班のノボ先生曰く
「七たび旅して、いよいよ目指すところが見えてきた感じです」。
彼はついに小名浜に七旅なのです。
えらい! よくぞ、旅団長だけが言ってきた「七たび旅して、我ら、ウシトラの義兵にならん!」を忘れずにいてくれた。


つまりね、やっぱ、通わにゃいけんのよ。
通わなければ見えてこないものもあるし、変化していく課題にもついていけない。
単に「ニーズに応える」ではなく、もっと根本的な構えが必要という意識も生まれてこない。


というわけで、もみもみノボ先生をはじめに、なさけな隊ソメビン、テラ、本営の旅団長、会計長、茶水幽玄隊鉄兵(写真担当)の、6名で小名浜入り。






ボランティアセンター事務所




 ウシトラ旅団が考えていたのは、きっとコミュニティの創設が必要になるだろうということ。
それは「復興」を唱える人たちとも、むろん重なるのだけれど、それだけではない。
「新らしいコミュニティを!」であり、「被災者の人々の自分自身による、自立したコミュニティを!」ということでした。
ま、そんなしちめんどくさいお話はともかく、小名浜のボラセンへまずは向かい、状況をうかがいました。お相手をしてくださったのは、的確にお話くださる人見さん。
ボラセンの成り立ちから、被災者が入っている住宅、活動の問題点まで教えていただきました。
人見さんは、この日の活動にずっといっしょ。
彼女たちの奮闘なくして、外から入ってくるボランティアは用をなしません。




向かうは下神白(しもかじろ)の団地。
津波で被災した小名浜周辺の方々が主として入っているようです。
「ここに入る!」と珍しく強く主張したのは、すでに七旅を果たしたノボせんせいでした。





下神白住宅。6棟が並ぶ



臨時整骨院開設は集会所で







「何だか、人の動きがすくない。さびしい感じがする。大きなところは慰問やイベントたくさん。やりやすいだろうけど、そういうところはよそさまでよろしい。人が集まれるような箱をつくるところから始めよう。そういうところがウシトラを求めているんだ」と、泣かせる訴えであったのでした。
むろん、旅団長は一も二もなく賛同。


いわきには、いくつか大きな被災者用住宅が整備されてきました。
たとえば中央台の仮設住宅は、1000戸といったか、原発事故由来の避難者がたくさんいらっしゃいます。
そちらへも行きたいという思いはあれど、まずは、この下神白でしっかりやっていこう、ということなのでありました。




さぁ、戦闘準備。


『サロンさ よってがっせ~』と『臨時整骨院』ののぼりを本営員が立てて、文句一つ言わず率先して、鉄兵が集会所を雑巾がけ 
やるじゃん。


小名浜のボランティアWさんは、自営業でなれたものと言いつつ、のぼりを立ててくれました。


ノボさんは、手作りの診療台をキュキュと組み立てます。
この診療台も実は、ノボだちの大工の棟梁のボランティア作品。
1次、2次、3次、と、ウシトラの活動もうまく構造が作れつつあり、みなさんに支えられております。
ありがとう!
上北沢は「悦工務店」の内藤御棟梁に、みな、恩義は忘れるでねぇぞ。




ノボさん、ゴッドハンドぶりを発揮して、
「ほら、軽くなったでしょ」
「あややや、ほんどだ。こんな先生に診てもらって、ありがたいわ」。


で、治療を終えた人たちも、治療中のセンセの話を聞き逃すまいと、お茶とお菓子の場にずっといらっしゃる。
おぅ、サロンもうまくいってるじゃねぇか。


治療を終えた方に話を聞く。地元や水戸から来たというボランティアの方もご一緒に。
みんな仲間だんべよ


初めてのところだしぃ、人の動きがあまり見えないということだったしぃ、人見さんもあんまり期待もたせないようにしてるみたいだしぃ……、
という心配をふっとばす盛況だったのでありました。
サロンを閉める4時前まで、センセはずっと働きづめ。


ゴッドハンドの杖・コロコロ機械は、どうだ! もみもみ角猫の肉球だぞぉ、(と、旅団長は勝手に悦にいる)。




で、そのころ、芸も技術もない旅団長たちといえば……。










ハンカチしっぽ取り鬼ごっこ。
旅団長、腹が出て体重く、ステップ切れず、ただ「ぜいぜい」の呼吸。
会計長、腰痛の恐れに泣きて三歩あゆまず。


それにしても、この子達のよく遊ぶこと。
おおらかで、すこやかで、よく笑い、走り回り、きちんと話す。
ああ、東京あたりではもう、絶滅危惧種ではないか。
おじさんは、しんみるする。




























実際、この子達の笑顔を見ていると、こちらがうれしくなるのだが、すぐさま脳裏には放射能のことが追いかけてきて、どうにもこうにもやりきれなくなる。


太郎や次郎の上に、降り積むのは、
雪でなければならず、けっして、放射性物質であってはならない。


どうするんだ! 
大人の責任だろう。子供たちの安全をまず図れ、と叫びたくなる。


それぞれの家庭や、地域の事情はあるだろう。
その中で、どのような選択を取るのが正しいのかは、そりゃぁ難しかろう。
けれど、少なくとも、全体で、つまり国や自治体が思い切った方策をとらない限り、子供たちは動きがとれないのだ。
銭金は後だ。それは東電がつぶれるまで、全部、責任をとってもらわなければならない。
そのつもりで、いま、大人全体がやらなければならないことがあるだろう。


いかん、また、旅団長の芸風を踏み外してしもた。




















ウシトラ旅団下神白駐屯ツノネコ義兵に君を任ずる。この次までに角をはやしておくように!
臨時整骨院は人気が高く、再訪のリクエストが多かったそうです。
たぶん、来月も、ここに入ることになりそうです。


この団地に以前から住んでおられる方々、被災してここにこられた方々、きっとさまざまな課題がそこにはあることでしょう。
それでも、いっしょに助け合って行けるように、いいコミュニティが作り上げられていくように、ウシトラは出来る限りの助太刀をしにいくつもりです。


技術もなく、単なる山の賑わいと思っていた他の参加者も、行ってみればいるだけで何かの役に立つという感想をもちました。


と、そんなわけで、サロン第一陣は思った以上の成功といえると思います。


サロン活動と合わせて、ある保育園の除染の様子や新しい仮設住宅地の視察にも行ったのですが、その報告は次回に行いたいと思います。


                              ★旅団長























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