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2012年12月27日木曜日

12.23 双葉町・元騎西高校 『餅つき会』


★騎西高校の『餅つき』
埼玉県の元中学校教師のHさんから、騎西高校の餅つき会へのお呼びがかかりました。
HさんはNPO「賢治の冒険学校」を率いて、このところ、一緒に行動することが多くなっています。





双葉町が井戸川町長のもと、埼玉県加須市の元騎西高校に避難所を定めて以来、Hさんは「賢治の冒険学校」の子どもや、その親とともに、ボランティアとして騎西高校に入り続けてきました。
いま、騎西高校の避難所には、双葉町から来た160人の人々が残っています。
私たちが通い続けているいわき市泉玉露の仮設住宅や、双葉町の方がいるいわき市の南台仮設と比べても、高齢者の比率が高いという印象を受けました。





「手は足りているから、賑やかしに」と誘われてホイホイと行ってみれば、力にあふれた冒険学校の生徒さんたちが、真面目に準備に掛かっておりました。

彼らが杵を振り下ろして、餅をつく主力部隊になりました。
加えて、南台仮設(双葉町住民の仮設住宅)でお会いしたYご夫妻も駆けつけて、まぁ、よく働く。



★まだ、避難所暮らしというあり方
つきあがったお餅は、あんこやきなこ、納豆、大根おろしの辛味餅、雑煮になって、次々に並べられておりました。
各部屋(高校内の教室)に、担当の人(?)がダンボールの箱に入れて運び込んでおられます。




食堂のテーブルについて、話しながら口に入れている情景は、ずいぶんと時間が経ってしか見られません。それも人数が少ない。
「う~ん、これは避難所……、配給、並ぶ、食べる…」。
避難所だから当たり前なのではありましょうが、未だ避難所で生活パターン、そんなままでいいのか?
そんなことを思っていたら、ウシトラのご意見番・中澤さんがちょとだけ若いおっかさん二人を捕まえて
「餅つきなんかは、女性陣が声を掛けあい中心になって、男どもをこき使ってやるのがいいのじゃないですかね」と、言っておられる。




そうなんだよなぁ
いま、準備している泉玉露の新年餅つき大会は、住民主体の「やっぺよ!」の意識が前回の時からはっきりしておりました。
それは9月に仮設住宅ができて入居が始まり、11月に自治会ができ、3ヶ月目に「震災以来、こんなにみんなが生き生きした顔をしたのは初めて」という餅つきになったのでした。
1月5日の餅つきは、前年を上回る盛り上がりになるでしょう。

騎西高校の場合は、仮設住宅よりもっと短いほんの一瞬でなければならないはずの「避難所」という意識のあり方を、なんともできなかったことに、いちばんの大きな問題があったように、私には見えます。
住民自身と、ボランティアの共同作業による生活自立への模索。
言うのは簡単、やるのは難しい課題がここに集中的に見えています。
避難所から仮設、そして恒久的な住宅へ。その過程につれて変わっていかざるをえない生活のあり方への集団的な努力。
年齢層、人数、支援者との関係、自治体の方針etc…、それぞれの避難所や仮設での条件の違いがあり、そこでどうやって取り組んでいくのか、住民と一緒にボランティアも考えなければならない問題です。

★井戸川町長と
Hさんがずいぶんと苦労して、町長との懇談の場を用意してくれました。
初期の頃から、騎西高校に入っていたボランティアの人たちや、南相馬から近くに避難してきている人などを交えて、厳しい意見も出る懇談になりました。



井戸川さんの原発事故以来の行動には眼を見張るものがありました。放射能汚染から少しでも遠くへと、町民を引き連れて、この騎西高校へとやってきて、政府や東電、県との交渉をやり、国際舞台に出張って、「双葉郡の人たちを救ってくれ」と訴えてきました。
それでも、双葉町町議会と対立し、3度めの不信任案で、それが可決された状態です(自らの辞任ではなく、町議会の解散・選挙を決断したそうです)。

双葉町の人々と話し込んでみると、濃淡はあれ、「町長は震災直後、よくやった」と、評価する声が多いのです。
けれども、現在の町長に対する評価では、私が聞いた中では否定的な人たちがほとんどでした。
井戸川町長の鮮明な主張を個人的には支持するにもかかわらず、私は、この評価が、単に原発推進派による非難・陰謀によって引き起こされたものとは思っていません。

井戸川さんがこれから何を主張するかだけなく、私は(これから先が重要なのですが)、「町民の現実的生活の再建に向けて、どのような行動を取っていくのか」に注目しています。
現実的な町民の要求と、きちんと結び合わせて、放射能防御、損害賠償問題などで、町民の多数をまとめていく具体的な行動をとってほしいと心から願っています。

町長に対しても、元騎西高校避難所の人々、いわき市南台応急仮設の人々、全国に広がっている双葉町からの避難者の人々に対しても、ウシトラ旅団は、同じ約束をしたいと思います。
町民がまとまって、国・県・東電に対して、自分たちの生きる権利を主張し、損害賠償の要求をし、生活再建と健康維持の手立てを求める行動を無条件で支持します。
ウシトラ旅団らしい方法で、そのための「やれることをやる」ということです。

東京へ戻る途中、埼玉のお仲間のところに立ち寄り、話しこんで来ました。
騎西高校、埼玉県に避難している人たちと、一緒にできることをやるべし、と具体的なお願いをしてきました。
騎西高校の餅つきを、遅まきながらの、行動の始まりにしたいと思っています。












2012年12月17日月曜日

12.15 泉玉露仮設クリスマス会


★子供も大人もクリスマス!
泉玉露応急仮設のクリスマス会には、昨年、ウシトラ旅団はまったく関わらなかったのですが、今年は、自治会から声をかけられ、駆けつけました。


行きの車の中では

「正しいクリスマスといえば、親父が紙の三角帽子かぶって、片手にバタークリームのケーキ、片手には安~い寿司折り、定番だったよな」
「そうそう、うちもそれ。キャバレー帰りのクリスマス(笑)みやげ」
そんなこといいながら、情けな隊ソメビンも、意気地なし隊渡辺さんも、しっかり100円ショップで、赤いお帽子買ってきてるんだもんね。



着いてみれば、何のことはない、テモテ教会やグレース教会の牧師さんのご尽力の下、ボランティアのみなさんの赤いお帽子とトナカイの角も、なんだかんだと動き回っておりました。





すでに、仮設女丈夫2人組・西原さんと三瓶さんが焼きそばにいそしんでおられます。

ほかにグレースが用意した綿菓子や、ポテトフライも準備が着々と……。
いつもながら、この教会の方々の熱心な活動には、頭が下がる。

開始時間になれば、これもおなじみ、小名浜クラップスの少女たちのチアリーディング。
仮設のおばあちゃんたちは、ずいぶん楽しみにしているらしく、彼女たちの呼び込みに、列をなしてやってきました。





★インタナショナル「もろびとこぞりて」
いつのまにやら、子供たちは60人ほども。
泉玉露仮設の子供は20数人ですし、いつもは見かけるのに「お出かけ」という欠席の子もいて、してみると、学校や近所のお友達がけっこう来てくれているようです。

チアリーディングの流れで会場入りしたおじいちゃんやおばあちゃんもご一緒。
第2集会所いっぱいで熱気にあふれていました。

グレース教会は、「英語のお歌」コーナーを用意してくださっていました。
キリスト教の信者の皆さんのネットワークで、教派が違っても協力して、ボランティア活動が震災以来行われているようです。
英語のお歌ご指導をやっておられる方を連れてきてくれたのです。
わがウシトラのおじさんたちは、それこそソメビンや渡辺さんのように、ちゃんと英語で対話できるメンツもいるにはいる。



でもそいつらも、昭和の御代のキャバレークリスマスナイト文化性がぷんぷん。
♪そりは行く~ ジングルベ、ジングルベ、鈴が鳴るぅ と小節までつける、の地金が出てしまう。
そこへ行くと、近頃ガキどもはなんの抵抗もなく、大きな声で、
Dashing through the snow,  と歌うのであります。うらやましい。


★子供ジャンピング、親父ハラハラ、大ビンゴ!
さて、恒例ビンゴ大会。
とにかく、みんなにあたるまで、やめないぞの数そろえです。





この担当を任されていたウシトラは、当然のことに切り札、Marioこと渡辺センセを登場させます。
「はい、キャンプに行ったみんなは、わかってるな。やるぞ、『ぐー!』」と、サムアップすれば、玉露の子供たちは両手を突き出して
「いいね!」と、コールするのであります。
リーチがかかるたび、ビンゴが出るたび、「いいね!」の声がとどろきました。







あちこちからかき集めてきた景品は、ずらりと机の上にならんでいたのですが、当てた子供たちの喜びのパフォーマンスとともに、去っていきました。







ビンゴゲームおつきのサンタのマットさんは、Marioの「Wher're you from?」に「Finland」と答える律儀さ。
ビンゴの終わりに、も一度された同じ質問に、子供たちはちゃんとマットさんの答え「イングランド、ロンドンから来た」と聞き取っていましたらから、立派なもんです。

さて、ウシトラからは一点豪華賞品! ご家族そろってディズニーリゾートへご招待。
これを届けるために来たようなものだったのです。




でも、ほんとのことを言えば、たくさん入ってきたおばあちゃんたちんに、こいつを行かれてしまうのではないかと、実はハラハラドキドキでした。
リーチがかかるのも、おばあちゃんや玉露の外からやってきた子供の手が上がっておりました。

でも、やったね。泉玉露の子供が獲得。
それも恐ろしいほどの効率の良さで、取って帰りました。
天の助けであります。天佑神助であります。クリスマスであります。








しっかり楽しんで、自治会が奮発して用意した、われら昭和の親父にはこの世の物とも思えなかった、生クリームたっぷりのイチゴのショートケーキだもんね。
子供たちは満足して帰ってくれました。




夏のキャンプ以来、仲良くなった子供たちになつかれるのは悪くない気分です。
あれから、この仮設を出て近くの住宅に住むようになった家族にも久方ぶりに会えました。
それぞれの道を歩み始めても、この泉玉露応急仮設住宅が取り結んだ縁も大事にされています。

1年9ヶ月前の震災・原発事故により、どんな被害を受けたのか、いえ、はっきりいえば、子供たちがどのような被曝をしたのかしなかったのか、そこに焦点を絞って考えたいというウシトラのメンバーもいます。




ほんの少しだけど、そんな話を母親たちとしたそうです。
触れるのにセンシティブな問題なのですが、せめてそのころの生活記録を取っておくことの重要さを感じています。
できれば、この活動に取り組んでいきたいと思っています。

★双葉町・南台仮設住宅にご挨拶
損害賠償勉強会以来、ご無沙汰していた、いわき市南台にある双葉町の人々の仮設住宅に、帰り道に寄ってきました。
実はウシトラ旅団の関係者で、埼玉県の元騎西高校の避難所に入り続けているメンバーがおります。
23日に、そこで餅つき会を行うというので、そのご挨拶に伺ったのであります。





自治会長と、そのサポート役をやっておられるらしい女性に、双葉町住民の様子について、話を伺うことができました。
双葉郡の町村のなかでも、種々の課題に立ち後れているのではないか、今後の進展も遅れてしまうのではないか、という不安を聞きました。
私たちができることは限られていますが、注視しながら、できることを考えようと話しながらの岐路となりました。

南台仮設にはこの日、東京からのボランティアの人たちが来ていました。ウシトラ旅団の名前も知っておられました。
こうして、やってくる支援者が増え、経験を積んでいくこと、被災者とともに進もうとすることが大事だと考えてきましたので、初対面にもかかわらず、話し込んでいたソメビンなど、力づけられたようでありました。

現地の支援はやればやるほど課題は多くなり、やるべきことの内容も深く問われることになります。
ひるまず、進みたいと思います。






2012年11月8日木曜日

11.4 双葉町のみなさんと初めての「損賠勉強会」


★双葉町のみなさんとともに
南台仮設住宅は、昨年9月に勿来インター近くの南台に、双葉町からの避難者用に作られた応急仮設住宅です。
259世帯、かなり大きい仮設ですが、例にもれず高齢者が多い。
ここで支援を行なってきたグループに、「なこそ復興プロジェクト」があります。
彼らが主催者になり、午前10時と午後1時30分からの2回にわけて、勉強会が行われました。

講師の伊藤久雄さんは、まったく疲れも見せず、国の賠償基準の考え方と実際の計算例、これから住民はどのように考えて動いていったらいいのかについて、しっかり話をしてくれました。
午前の部は40人、午後からは20人。
午前と午後の2度続けて、参加された住民の方もいらっしゃいました。
ウシトラ旅団は、ソメビン、会計長、旅団長。講師の友人Hさんが参加してくれました。
うれしいことに、震災直後からボランティアで来ていた筑波大学の学生さんたちが数人も、熱心にメモを取りながら、お勉強。

伊藤さんは「国の賠償基準は、帰還、現価値(残存価値)の補償などが前提になっている。まとまって自分たちで声を上げなければ、住民が求めるような生活再建には進めません」とわかり易く説明。参加者はいちいち頷いていました。
出された質問にはそれぞれの双葉町での生活が如実に反映されます。
「営農休止の補償」「農機具などの補償」など具体的な質問なのです。

最後にお話された、たぶん90歳くらいのおばあちゃんは、涙をこらえて言葉を震わせ、とぎれとぎれに訴えられました。
「私のところは共同墓地ではなく(墓地も大きな補償問題です)、庭にご先祖がいます。私がこうしているのもご先祖さまのおかげです。そこにもう帰れない、としたらどうしたらいいのか」
そして、講師や私たちに、「ありがとうございました」と深々とお辞儀をされました。
その場にいるものがみな胸をつまらせていました。

500年ほどの歴史をそこでつないできた人たちが、苦しみを背負わされています。
とにかく、彼ら彼女らが、自分の思いの丈を話せる場としても、この勉強会をきっかけにしてほしいと願います。


★人のつながりで、支援の拡大を!

勉強会の主催者である「なこそ復興プロジェクト」は、NPO勿来まちづくりサポートセンターが震災直後から被災者支援に動き、彼らが中心になって民間主導「勿来ボラセン」を組織してきました。
夏に解散した後も、復興プロジェクトとして支援を続けていわけです。
まちづくりセンターには、講師の伊藤さんの友人などが以前から関わっており、その方々が復興プロジェクトを支えてきているのです。
このプロジェクトに参加している人が、泉玉露仮設の2回目の勉強会に参加後、伊藤久雄さん・ウシトラに連絡をつけて、南台での勉強会が実現したのでした。

会場となった社協の施設・双葉町サポートセンター「ひだまり」

これまでの活動で、復興プロジェクトと、南台の自治会会長・社協・連絡員などの間には厚い信頼感があるようにみえました。
ウシトラ旅団としても、これから力を合わせながら進みたいと思います。

双葉町は町役場を埼玉県から、このいわき市に持ってくることを決定し、その準備が進んでいるようです。
これからの双葉町(井戸川町長ら)の動きがどうなっていくのかをしっかり見極めながら、進まなければなりません。

★帰りの車中で

今回の行動に参加されたHさんは、阪神淡路・山古志村と被災地に関わり、エキスパートとして、南台の仮設を作るときにも来ていたいた方でした。
定員いっぱいの車中でしたが、いい話がたくさん聞けました。



彼曰く
「阪神の時も『自治』は仮設にありました。それが仮設が閉鎖されることで、なくなっていったのです。今回の福島の場合、町の方針によって少しの違いはありますが、基本的に住民自治の基本である地区のまとまりは、避難でバラバラにされてしまった。
いま、自分たちで意見をまとめ、解決策を探っていく、要求をする、といったことは仮設住宅が果たす役割」。

実は、仮設住宅に入って行く時、旅団長たる私や、なさけな隊のソメビンはそれをかなり強く意識していました。
仮設の外には、その10倍の人数のみなし仮設(借り上げ住宅)住民がいます。
その人達の心も、要求も、纏めあげていくテコとして、仮設の存在を考えていたのです。

これからが正念場です。読者のみなさんの力をお貸しください。
アイデアも、人も、金も!









2012年11月1日木曜日

10.28 泉玉露仮設の肉球班・カッチョイ会議


泉ふるさと祭りから一週間。
泉玉露応急仮設住宅に定期の整体「もみもみ肉球班」入り、これも月に1度の「自治会支援者活動調整委員会」(カッチョイ会議)をやってきました。

★肉球班 臨時整骨院
雨にたたられ、整体の臨時整骨院はいつもより少ない7人のお客様。
こういう日は、ノボさんがわりにゆっくり仮設の人たちと話ができるというメリットもあります。
仮設に入り始めた頃からそうなのですが、仮設の人たちの気持ちをノボさんがもっとも近い位置で聞いてきたのです。
ウシトラのその後の活動は、この基礎の上に構想されてきたといってもいいと思います。




例えば、こういう生活上のリアリスティックな話を、ノボさんは聞き出します。ノボさんの報告より
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旅団長、シゲッチ、と私で玉露に入りました
凄い雨で今回は暇で色々話せて楽しかった


肉の佐川
夫婦2人だとこれで足りてしまうそうです
狭い仮設で揚げものをすると油臭くていやなんだそうです





石屋さん
今年の8月まで二本松の仮設にいたそうです
通勤は片道150kmだったそうです
当時、デコボコの道路を150km、往復300km、大変だったそうです
今は片道50kmで楽だと言っていました





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そろそろ臨時整骨院も終いの準備に入ろうとしていた頃、初めていらした壮年の男性。
作業衣姿でした。その方が、今、楢葉町の墓地の整備に入っている石屋のYさんでした。
墓石は倒れ、ひどい荒れようとか。依頼されたお墓にたどり着くのもままならない。
「下から片付けて行かないと、上にある墓に行き着かないんです」

作業着姿の彼に、「どうぞどうぞそのまま」と薦めたのに「いや、着替えてきますから」と、わざわざ出直してこられたのも、つまりは、楢葉町に入り、作業着に放射性物質が付着していることを気にしておられたのです。
立入り禁止が解除されたところであれ、その近くで暮らし、仕事をするというのは、そういうことです。

さて、整体はいつも第2集会所でやるのですが、隣の小部屋では、ちょうどその時間に、住民自身による自主的な勉強会が開かれていました。
勉強会を終えたHさんが隣の部屋をのぞきに来たそうです。
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臨時整骨院に来たお母さん二人
「勉強会って何の為にするか分からない」と言いました

Hさん
「今、一人10万ずつもらってっぺ
子供4人いて父ちゃん、母ちゃんで月60万
一年で720万、三年間もらって賠償金と合わせてで5.6000万になるべ
アパートに住んでいても十分家買えるべ

(その一方で)夫婦二人で月20万、年240万
三年もらって720万、賠償もらったって1500万ぐれいにしかならないべ
夫婦二人で富岡に家持っていたって
田人(地名です、私が渓流釣りに行くところ)にだって土地と家なんか持てねえぞ」

「10万は精神的苦痛に対しての銭だべ
何で乳飲み子に精神的苦痛があるんだ、抱かれて乳飲んでるだけだべ
年齢で金額が変わんなくては不公平だ」

「申請を出した順に審査していくんだから早く出さないと
自分の順番が来るまで何年もかかっちまうぞ」

「一銭ももらわず死んじゃうより
いくらかでももらって、孫にくれられたほうがいいべ
ばあちゃんからもらった金で家の頭金ができたって言われた方がいいべ
ばあちゃん、迷惑ばかりかけて死んじゃったって言われるよりいいべ
だから、早くやらねえとダメなんだ」

お母さん達に向かって
「政府や東電がやってくれるっておもってっべ」
お母さん達うんとうなずく
Hさん
「んなもん自分で申請出さないと誰もやってくんねえぞ」
「俺は失うものはないから誰に何言われても
悪もんになってもいいんだ
俺はいじめられるのは嫌いだけど
いじめんの好きだからやってんだ」

と言っていました
他にも色々聞きました
まだまだ何にも始まっていないんだなぁと感じた

 ノボ
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Hさんはかなり挑発的な物言いをしますが、問題の本質はよく衝きます。
いま、彼は東電やら政府に対して、もの言いつつ、自分を実例して、交渉のケーススタディづくりをしています。
旅団長は「低位の妥結だけはしないでね(笑)」と、言っています。
本人だって、自分だけの問題ではないことがよくわかっていまので、むしろ、東電や政府のどうしようもないありさまを明らかにするためにやっているようなものです。

★カッチョイ会議
川上会長と連絡員の西山さん、そして旅団長。いつもよりちょっと寂しい出席でした。
けれども、論議する内容はたくさん。充実した会議でした。



・人事問題 ・住宅内の交通安全の工夫
・回覧板の開始(最初の内容の検討)
・芋煮会(11月3日)、小さな作品展(住民作品の展覧、11月3・4日)
・懇親旅行やクリスマス会の打ち合わせ

ウシトラが実際に動いて取り組む内容では、芋煮会のテントなどの準備。クリスマス会の手助けなどが出てきました。
前週の「泉ふるさと祭り」子どもクラフトで、子供たちが参加費として集めたお金を、どう有効に使うかも今後の課題です。
子供たちに話をしてもらって、自分たちで決めてもらおうかと思います。

★被曝記録のために
カッチョイ会議をやっている隣では子供たちが遊んでいました。
ようよう顔を覚えてもらったらしいシゲッチは、AKBソングなど歌いつつ、一緒に元気よく踊っておられました。
子ども(とその親)の中に入っていく工夫は、ソメビンもあれこれやってきて、苦労の連続です。
シゲッチは、「原発事故直後からの生活記録を取らなければ」と主張し、それを残す活動を模索しています。

連絡員の西山さんと相談、見せてもらった県・調査記録の用紙は、えらく難しくなっています。
これもさまざま批判がされており、実際、とても実践的とは思えぬものです。
「福島の子供たちを守れ」の目標、そんなこんなも、こういうところから試行錯誤の連続なのであります。

2012年10月25日木曜日

霞が関・官邸前からいわきへ(2)




★「泉ふるさと祭り」(いわき市泉駅前)へ

官邸前行動の翌日、泉玉露応急仮設住宅の西山さんをピックアップして、いわきへ向かいました。
車の中では例のごとくに、官邸前をめぐるあれこれのエピソードに花が咲きました。
西山さんや、木幡さんは、あのスピーチの後、ずいぶんと長い間、某記者から取材を受けたり、写真をとってくれた山本さんやら、スピーチエリアの「音頭取り」の方々と、お話をしておりました。

西山さんは、20日、21日と連絡員の仕事はお休みだという話しながら、結局、泉ふるさと祭りで忙殺されることとなったのでした。
ソメビンと旅団長は、その泉ふるさと祭りの準備で、いわきへと向かったのです。

ソメビンの個人ブログには、こんなふうにあります。

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10月21日(日)いわきの泉で行われたふるさと祭り。
今年はこの地で避難生活をおくっている富岡のひとたちにお誘いがあり、出店の運びとなりました。

ウシトラ旅団には仮設自治会から「こども向け」の出店を考えてくれ、という要請があり結果「富岡のこども達によるお店」
というコンセプトでクラフト アトリエをひらくことになりました。

前日から看板を作ったり、飾りの仕込みを一緒に・・・・・・
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前日から駆けつけたのは、他に、マリオこと渡辺さんとその友人、
子供たちは、「マリオだぁ」とまとわりついておりました。
準備のために声をかけていた子供たちは、近所の子供たちを引っ張ってきたらしくて、顔を知らなかった子も一緒に、マリオやソメビンと作業をすることに。
けっこう、ご近所さんの子供たちも、この仮設住宅に遊びに来てくれているようです。



車にテントやイスを運びこむ作業も、約2名、やる気の男の子が大人に混じって、頑張ってくれました。

再びソメビン・ブログより
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今回もテントをいわき自由労組にお願いし、東京自由が丘からは「自由が丘子どもアトリエ」のOさんがクラフト指導に参加してくださいました。ご紹介いただいた練馬保養プロジェクトのTさんにも感謝です。

ウシトラ旅団としては、チラシを作成(毎度Aさんありがとう)、当日運営(参加してくれたみなさんごくろうさま!)としてバックアップさせていただきました。

また小さな子にはつきっきりでお世話いただいた富岡町のクラフトチームのお母さんにも感謝。お母さんたちのクラフト店も大繁盛で「さくらさかせるぞう」やエコクラフト篭は完売状態だったようです。


仮設住宅のみなさんが元気に地元の祭事に参加する。とても大事で有意義なことであると思います。こどもたちも一役かってくれたのだと思います。
こどもたちは本当によく働きます。サマーキャンプ以来の「仲」になったこともありますが、とても協力的でしかも自分達が何をしているのか良く理解しているように私には思えるのです。

今回こどもたちには借りができたので、これは近々何かお返ししないとな・・・・・・


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泉ふるさと祭りは、予想していたよりずっと大掛かりでした。
泉玉露応急仮設住宅が出した出店は大人気でした。
ふと、気づけば、西原のお母さんが店先で手を握り合って、何か語り合っておりました。
きっと、震災・原発事故避難から久方ぶりの邂逅だったのでしょう。ここではこんな出会いもあるようでした。

当日、駆けつけてきたノボせんせ、女将さん、ナースの鈴木さん、シゲッチがあたふたと子供たちに対応していました。
彼女たちも、サマーキャンプで、泉玉露応急仮設住宅の子供たちと一緒に過ごしたのでありました。




泉玉露応急仮設には、ぞうさんとともに作ってきた、かご作りの名人がたくさんいます。子供たちにはちょっと難しいクラフトも、ばっちり教えてくれました。

連絡員の方たちが中心で準備した、輪投げも実に盛況。
甘い認定で「いいよ、好きなのもってけぇ」。
そりゃそうだ。鍋の素より、大きなぬいぐるみの景品のほうが子供たちにはうれしいもん。


鶴ヶ島広報隊作成のチラシを仮設外の友達が撒いてくれたのでした。

旅団長他数名は、この日に開催された「ふくしまフォーラム」に参加するために、途中リタイア。
こちらはマジな議論をするために、涙ながらに、祭りの地を去ったのでありました。