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2012年4月18日水曜日

4.14 「一緒に生き抜こう!」ライブ


ウシトラ旅団結成1周年 「一緒に生き抜こう!」ライブは、雨で出足が心配されたというのに、100人!を超える方々に来ていだだきました。
まさに立錐の余地もない、というほどの集まり。
ありがとうございました。
当日は、いわき市にある富岡町泉玉露仮設住宅と、会津若松の大熊町松長仮設住宅・借り上げ住宅に住んでおられる5人の方においでいただき、「仮設と心をつなごう!」の合言葉どおり、ほんとにいいライブになりました。







この日の構成は1部で旅団1年の活動報告と、被災者5人にお話をうかがう、2部でミュージシャンや声優さんによる音楽と朗読という実に盛りだくさんのメニューでした。


でもね、旅団長はあとでソメビンに聞いてぐっときたね。
ミュージシャンたちがこのライブのあとで、
「今日はなんだか誇らしい気分だ」と語っていたと。
この日のライブの成功をどんな言葉よりもよく表しています。
おじさん旅団長はちと涙ぐんでしまいます。


関係は互いに対等、やるべきことはそれぞれに違っているけれど、自分たちができることをやって、心をつないでいける、と思ったのでした。
被災者も、そんな人間がここにいることに励まされたようでした。そんなイベントとして成功したということです。




★活動資金集めの報告会&ジャズライブとして
始まりはそんな思い付きだったのです。なさけな隊隊長と旅団長がいわきに通う車の中は、いつも思いつきの会議の場です。
ふたりともせこいから力と金なしでもできることに知恵をしぼり、かつ軽薄でありますから、
「おお、やるべ。人脈はあるし、できるよ」と、
たいがい、ジャズか落語が流れている車の中で、決まるのであります。


「泉玉露仮設から来てもらって話をしてもらおう」から、どんどん内容は濃くなっていって、この盛りだくさん。
「金集めなんて問題じゃねぇな。仮設と心をつなぐ! だよ」ということになったのです。
とたんに、ギャラなしで出演してくださる方々の心意気も違ってきたように思います。


★ウシトラ旅団、1年の活動報告
やってきたことは、このブログをずっと遡っていただければすぐわかります。覗いてみてください。
だから当日は、旅団長は写真に合わせてさらりと報告をしました。
言いたかったことは「やる気があれば支援は誰でもできる」。でも「継続が必要だ」。そして「それぞれにやれることで力をあわせよう」。そのために「お互いがテコになろうじゃないか」という呼びかけでありました。




★原発事故避難者の報告と訴え
ウシトラ旅団が入り続けている富岡町泉玉露仮設から自治会副会長の西原清士さんと、奥様の千賀子さん。
大熊町からは「大熊町の明日を考える女性の会」の木幡ますみさん、赤井さん、飯田さん。
(木幡さんもご夫婦で参加をお願いしていたのでしたが、町長選出馬以来、夫の仁さんが忙殺されているとのことでした)。
この交代は結果的に正解でした。
富岡町の様子と大熊町の様子の違いが、「女性の会」がクローズアップされることによって、際立ったように見えました。






地震・津波の被害、原発事故による避難の苦労は、それぞれの生活の場・職場から始まりました。
これらも聞くたびに胸が痛む話に満ちています。
避難所を転々として、そしていま、仮のおちつき先で、何をやっていくのか、がリアルに語られました。


泉玉露仮設は自治会作りを小さなところからキチキチと進める、大熊は政府や東電に対して、はっきりとした要求を「女性の会」が先頭になってぶつけていく、というふうなのです。






西原清士さんは自治会づくりの始まりから、たくさんの年配者の避難者を抱えるなかでの現在の苦労や、工夫を語ってくれました。
西原千賀子さんは介護福祉士として施設の老人たちの命を守るために4日間職場で不眠不休であったこと。
その後も「行くところがないので、実家のある石巻に行き、そこで半年、炊き出しなどのボランティアをやっていた」と語ります。




農家だった木幡さんは家・畑を捨てて避難し、夫の病気に「おとさんにわたしの腎臓をひとつあげちゃって」というなかで、「女性の会」を立ち上げます。
政府に押しかけて細野環境相などを相手に奮闘してきた様子を明るく語ります。




赤井さん、飯田さんは、「女性の会」に参加する「不利」と、抑制を跳ね返して、借り上げ住宅から、木幡さんに合流して活動してきた苦労があります。
いまは、大熊の被災者全体の運命を「女性の会」が切り開いていこうとしているかのように見えます。
女性の会は「補償、新しい居住地、町民全員の被爆管理手帳」を掲げます。
中間貯蔵施設についても「放射能汚染を拡大するな。大熊が引き受けよう」という立場に転換しました。
他にも、いま現在、原発の事故現場に踏みとどまっている労働者たちの話も出てきました。


仮設住宅の話や、借り上げ住宅に避難している人たちの課題や、何を感じているのか、といったことは、十分に伝わっていません。

旅団は、そこをみなさんに伝えていきたいと考えてきました。
聴衆のみなさんが身を乗り出して真剣な表情で話を聞き、ときに涙している姿がありました。
ウシトラがやれることの第1弾はできたかなと喜んでいます。









★バツグンだったぜ、プレーヤーのみなみなさま
第2部の開始は
☆森田貢さんと染井みゆきさん。
この二人、昨年の5月1日にウシトラ旅団と一緒にいわき市小名浜に入ってくださったターギニカピア隊でした。
そのときの印象も交えながら、まずは、このギターとピアニカで入ってきたのが憎い。


娘のピアニカ取り上げて、避難所だった江名小学校に行ったんでしたっけねぇ。










☆魂の声が聞こえた朗読
「あ、あの役の」と聞けば分かるアニメの声優などで活躍している真山亜子さんが4人の作品を読んでくれました。




震災直後に韓国の新聞に掲載された高銀(コ・ウン)さんの「日本人への礼儀」。
ウシトラが入っている泉玉露仮設にいらっしゃるおばあちゃん佐藤紫華子さんの詩集『原発難民』から数篇の詩、大熊町で農業を営んでいた佐藤祐禎さんの短歌集『青白き光』と、近詠から数首。
そして、昨年9月の「1000万人アクション」の明治公園で発言された、武藤類子さんの「わたしたちは静かに怒りを燃やす東北の鬼です」というアピール。
真山さんはこの20分ほどの朗読で、自分でも倒れてしまうのではないかと思ったそうです。
全霊を込めなければ読めない詩歌だったのです。




朗読につけたミュージシャンみいきしゃんのピアノがまたたまらない。
参ったぜみいき! 見直したぜみいき!






みな涙を流しながら朗読に聞き入っておりました。




加えて、山野さと子さんの飛び入りもあり、「ドラえもん」を歌ってくれました。凄みのある朗読、希望に臨むアピール文、そして、みんなで歌った「ドラえもん」、ありがとうございました。


☆トリは最強ジャズマンたち
ああ、おなつかしや。昔、聴きに行った三槻直子さんが、「A列車で行こう」から入りました。
ピアノはプロがほれ込むピアニスト湊孝夫さん、ベースは前に出ずにあまりに見事に支える成重幸紀さん。
「スマイル」やら「マイ・フェバリット・シングス」「素晴らしきこの世界」……。









スタンダードたまりません。
調子こきのウシトラのメンバーは、大盛り上がり。




やがて、大団円。
出演者みな、ステージに上がり、会場全員で「ふるさと」の大合唱。
ちゃんとハモってるところが、ああ、ミュージシャンたちだ。
これもまた、みんな、涙・涙…。



そうだった。
このライブのテーマで「『新しいふるさとを!』じゃないのか?」「いやいや、まだ、『生き抜こう!』だろ」と、侃侃諤諤だった。
それでも、(ここまでだけど)、力なきボランティア、ウシトラ旅団はやれることをやったのでした。


★ありがとうございました
このたびのライブは本当に心意気にあふれた人々が集まって実現できました。
ミュージシャン、声優さん、PAを担当してくれたみいきの教え子さん、映像を準備してくれた友人、映写を何度も練習してやりきったスタッフ、ゲストのホステス役をやってくれたノボせんせの奥様、会場準備や受付をやってくれたみいきしゃんの妹夫妻、ソメビン・旅団長の娘っこども…。
そして、何よりもわがままを許して会場を用意してくださった「音倉」さん、協賛してくださった「国境なき楽団」、庄野真代さん、本当にありがとうございます。
あらためてお礼を申し上げます。


出演者のほとんどに関わりをもっていて、彼女がいなければ、この企画が成り立たなかったミュージシャンみいきしゃんは、
「わたしがやるんだもん、うまくいかないわけがないじゃない。で、次はいつやるの?」


ありがとう。その意気だぜ。またよろしくお願いいたします。


























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