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2012年5月26日土曜日

大熊のラジカル女傑は今日も征く!

昨日、文京シビックでそこはかとない(笑)、集まりが行なわれたそうです。
実は、旅団長も行きたかったのですが、その日になって、ご用事が入って残念ながら行くことがかないませんでした。


6月30日・7月1日に、いわき市で「福島フォーラム」という集まりが開催されるそうで、そのプレ・イベントとして、開催された集会のようです。


木村静さんという方が、昨日の様子をブログに書いておられます。
私はこの方をまったく存じ上げないのですが、
分かりやすいので、断りなしにリンクいたします。
どうぞ、読んでみてください。
http://channelp.exblog.jp/18058221/




この集会に行って見たいなと思っていたのは、もちろん、木幡夫妻がおいでになるというので、話を聞いてみたかったのです。


んなこと思いつつ、デスクについていた前の晩、木幡ますみさんから電話が入り、「明日どこに行けばいいのか」とお尋ねなされるのでありました。


わたくし、笑い転げてしまいました。
たまたま、その日に輜重輸卒車輌長からメールが回り、そんな集まりがあることを知っていたから、あわててメールを探して、場所と時間をお伝え申し上げることができたのですが、主催者でも関係者でもないんだもん。




まぁ、無理はないのです。
まるでこまねずみのように走り回っていて、おまけにパソコンもファックスもないというなかで、仮設の用事や女性の会の活動をやっておられるのです。
だから、こちらから連絡を取るのも、ときにはばかれたりして……。
今回も、集会の情報を伝えたついでに、今後のプランについて少しだけ話しました。




そんでもって、文京シビックに、「車で行きますから」とおっしゃる。
「あいや、ポチをつれてくるんですね」と私。


4月14日の「一緒に生き抜こう」ライブのおり、「おいで請う」の連絡を差し上げたときに、やはり「犬を連れて行く」と言って聞きやしない。


1月に雪の中の会津若松の仮設をたずねたときに、玄関の先に犬小屋がしつらえてあり、こいつがワンワンと吠え掛かり、「うるせえぞ」と、大人気なく人間気なくけんか腰にわたくしはなったのでありました。
しかし、あとで知ったら、ひと時も犬もますみさんも互いに離れていたくないわけがあったのでありました。


震災三ヵ月後の一時帰宅のときに、「ポチ、おいで!」の声によろよろとやってくる弱った犬の姿がニュースになっていたのです。
映像には、仁さんとますみさんの「よく頑張った。えらい、えらい」という声がかぶさっています。
そして、その前のポチがやってくるところには、ほとんど言葉になっていない、ますみさんらしい声が響いていたのでした。


おう、ふたりとも情の深いひとだ、と思わされたのでした。


あほのNHK(らしい)は、こんな映像にまで著作権とやらを主張して、you-tubeから削除させたようです。せっかくリンクしてやろうと思ったに、いまは見られなくなっているようです。




さて、ついこのあいだ、



「原発立地・大熊町民は訴える」 
木幡 仁(前大熊町議)、木幡ますみ(大熊町の明日を考える女性の会代表)共著
46版並製/200頁/定価1700円+税



という書籍が出版されました。

書いてある内容からすれば、わたくし不謹慎ながら、笑い声をあげてしまう、読書でありました。
いや、ほんと、面白いのです。

なにしろ、ますみさん「過激にして愛嬌あり」なのであります。
その過激ぶりが只者ならずなのです。

自分の腎臓をひとつ仁さんに分け与えて、いやぁ、瀕死(?)の仁さんに向かって「町民のために町長選に出ろ!」と主張するのであります。
そう、「帰る、帰る」の一点張り、避難所・仮設で人が亡くなっていっているのに、なんら有効な展望も方策も示さぬ町長(いまも町長!)に、闘いを挑ませたのです。

仁さんの命について、避難所の状態のときに「危ない」と思っていたようです。
じっさい、昨年3月、仙台の病院に軽トラックで運び込んだときに「三日遅れていたら、死んでいた」といわれたそうです。



まぁ、あまりといえばあんまりな。
でも、運び込んだ病院も、タイミングも、見事にますみさんは捕らえていたようです。
そして、何より、それを可能にしたのは命に対する「覚悟」のようです。

おそらく、これはポチに対しても、大熊町の町民に対しても、家族に対しても、ほとんどイコールのようにして、命という尊厳についての構えと、覚悟がおありのようであるように、お見受けいたします。
発想も行動も、難しくはしないが、根底的。言葉の正しい意味で、ラジカルな人に違いありません。



だから、命をかけなければならないことがあることも、よく知っている。
ダンナに腎臓をひとつ分け与えておいて、ともに「七生報民!」と、わたくしは声に出して、彼女をたたえたのでありました。

とにかく読んでみるのがいちばん分かる。
彼女のお嫁入りは「なんか、歩きたかったんだよねぇ」で、郡山の実家から大熊の木幡さんの家まで、歩いていったのだと。
そして、大熊にはいるや、「ここはベトナム。これから戦争だ!」と思ったという。
30数年前のことである。

「一緒に生き抜こう!」ライブのおりに、司会の私が「町長をいじめている、ますみさん……」と、話でふったら
「町長とは仲いいですよ」と、莞爾として笑ったのでありました。




このラジカルさ、この底の抜けたような、おかしさ。
原発推進派は、とんでもない人に命を吹き込んでしまった。
そして、大熊町民は、大熊ラジカル・ジャンヌを手に入れたのでありましょう。

7月1日、彼女たちといっしょに、「町の将来に向かって」の学習会をウシトラ旅団ではやることにしています。
また、おもしろいことになりそうだ。







2012年5月17日木曜日

5.12「5月カッチョイ」 5.13「もみもみ肉球班」

ウシトラは連日行動。


12日に、自治会・支援者活動調整委員会(カッチョイ会議)に参加。翌13日にのぼセンセの「肉球班」が泉玉露仮設に入りました。


★カッチョイ会議

カッチョイには、森川自治会長、西原副会長、西山連絡員が自治会側から、支援者はテモテ教会のお二人に、いっしょにいらした泉玉露の 泉グレイスチャペルの方、そしてウシトラ旅団から旅団長とソメビン隊長、あとから駆けつけたいわき自由労組の斎藤さんのメンバー。

議題は夏休みに向けての準備が主なものでした。

☆「ほっこりカフェ」
これまでずっとテモテが支えてきた「ほっこりカフェ」の体制が変わります。
自治会自身の手で開催していくことになりました。
週3回、この仮設の住民が集まって自由に話す場をつくってきたテモテのみなさんが、いわばすこ~し身を引いて、自治会に「事業」をわたしていくということです。

テモテは本当にりっぱです。
一番先に、ここへ入り、そして、軌道に載せていきながら、自治会の自主的な運営に任せていく、という方法をとったのです。

「自治会の自立を!」と口でいうのは簡単。
でも、支援者としての思い上がりもみずから許さず、きちんと自然に、手渡そうとしています。
「うまくいかなければ、また戻せばいいんだから」という、おおらかな立場。

こういう感覚(一見、いいかげんにみえるかもしれないが)は、実は非常に大切に思えます。
そのうえで、やるべきところはきちんと押さえて、支えているのです。

☆子供たちへのケア
グレイスチャペルは仮設のすぐ近所にあり、これまでも「さくら咲かせるぞう」の事業を支えてきたところです。いまも、ぞうさんの注文先、販売の引き受けで頑張ってくれています。
夏休みに向けて、今度は、子供たちが勉強したり、遊んだりする場をつくる課題に取り組み始めました。

週数回、放課後や夏休み中に、いわき明星大学や福島工専の学生さんたちの力を借りて、そんな場を継続的に作っていこうというわけです。
もちろん、ウシトラもできるところを手伝っていくつもりです。




☆子どもサマーキャンプ
こちらはウシトラから提起。ソメビンが準備した資料をもとに検討しました。
残念ながら、本当に残念ながら、有力な候補地と考えていた群馬の某所が放射性物質の汚染が高かった。
いまや、関東もこんなところばかりです。

そして、もうひとつの案が「南会津へ行こう!」でした。
こちらは実は放射線量が低い。旅団長の住む東京某所より、空間線量だけなら、こちらのほうが低いのです。
翌日、実際に赴き、ソメビン・旅団長と、先に南会津に入っていた意気地なし隊ワタナベ隊員とで、検証してきました。
7月に、この南会津で富岡の子供たちと一緒にキャンプができたらいいなぁ、と思っています。
どうか、そのときはみなさんのご協力を!

そのほか、盆踊りの準備の話、仮設通信再開(ウシトラが助っ人)、駐車場の整備ということなどが話し合われました。

☆スローガン、どかんと第2集会場玄関に
ソメビンててさまがまた渾身の筆を振るったスローガンが、集会場の扉をあければ目に飛び込んでくるところに張り出されました。
4月の総会で決定されたものです。
「あんまり目立ちすぎて、いいんですかねぇ」と、我らの心配をよそに
「いやいや、ここでいいんです」と、西原副会長。

何しろ、でかくて他の場所には貼れないのでありました。
ソメビン父のまさか深謀ではありますまいが……。



「そんなら、東電賠償の説明会などここで開かれているんだから、東電がきたら、まず、これを声に出させて読ませましょう(笑)」「東電は直ちに補償を行え!」と。

自治会の心持ちや意志を示して、交渉に臨む。うんうん悪くない。

☆話のタネだから
ちょっと大熊町の人たちの仮設住宅を訪ねての帰り。
ソメビン携帯がぷるぷるとなり、西原さんが「どうぞお風呂にはいりに来てください」
「あちゃ、どうするよ。風呂ってことは、それだけじゃすまないだろ。いいのかよ?」
「う~ん……、いや、行こ行こ」
やっぱり軽薄である。そして、やっぱりビールやうまいつまみをごちそうになりながら、話し込んできたのでありました。


やっぱり一応は遠慮の素振り。そしたらやっぱり、「仮設のお風呂もとにかく話のタネに」と、言葉がかかったのでした。
仮設は生き抜く場、現実の生活の場です。
仮設を知る良い機でもありました。
西原ご夫妻、ありがとうございました。



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★もみもみ肉球班



今回の泉玉露仮設での臨時整骨院は、東京からノボ先生、ゆっこさんと私、鉄兵。
福島から小林さん。助っ人の小林さんありがとう。助かりました。


到着後、早速ゆっこさんの手料理とおむすび3個も頬張って腹ごしらえ。
おむすび美味しかった。小林さんも到着して準備。
「今日は人が来るんだろうか」という感じの閑散とした雰囲気だったけど、あれよあれという間に人が集まってくる。






私は4月14日の花見の写真を50数枚焼いて持ってきたのだが、「あらまあ、良く写っている」「私の葬式の写真にしたいね」なんて感じで喜んでもらえた。
「そのときは連絡をください」なんて答えていた私はアホでした(笑)。






小林さんは受付を、ゆっこさんは集まってくる人たちにお茶を出したりして応対。
団らんの輪に自然に入って会話をよどみなく進めて行くところは「天性」か「天然」か。私などよりよほどコミュニケーション能力に優れている。













西原千賀子さん自作の浅漬けなども振る舞われて、集会場は談笑の輪に。
クラフトの話や浅漬けの話など、あちこちで笑顔がはじける。そう、昔で言う井戸端会議である。
そうこうしているうちに三々五々、馴染みの方も、また新顔の方も現れる。


この間、ノボ先生はひたすら患者を診る。
お茶を飲む時間もない。患者さんからの感謝の言葉やしぐさが疲れを忘れさせているのかもしれない。
こうして4時間で16人もの方を診た。お疲れさま。










私はといえば、前回の I さんの部屋を尋ねてみた。あいにく仕事で会えなかったが、奥さんからは差し上げた写真の礼を言われた。
仮設の塀に干した布団を写真に撮った。
そう、仮設には布団を干す竿もなければ場所もない。布団の出し入れも窓からだ。これでは高齢者にとっては布団も干せない。これがもう一つの現実。






臨時整骨院の第二集会場を離れて第一集会場の方に行ってみると、子供たちが何人か集まってアイスやジュースを飲んでいる。
カメラを向けると「撮って」「見せて」の大騒ぎ。
走ったり翔んだり、それぞれがそれぞれに自分をアピールする。
この子たち,たいした役者である。少しの時間だったけど楽しい時間を過ごせた。
みんな、またね。










最後に真面目な話を二つ。
応急仮設住宅自治会スローガンは4月の自治会で決まったもの。
実はこれ、ソメビンさんの尊父が書かれたもの。
第二集会所を入った正面に貼られていた。
すごい。ご苦労さまでした。










もう一つは原発被災者の会・富岡の「趣意書」が掲示板に貼られていた。泉玉露でも署名の協力を呼びかけていた。
一言で言うと、放射性廃棄物の中間貯蔵施設の建設に同意する条件として、復興ビジョンと賠償をきちんと示せという主張である。


玄関口で副会長の西原さんと話をしていたら、ちょうど原発被災者の会・富岡のメンバーの方が通りかかったので少し話を聞けた。
富岡の人口1,5000のうち7,500の署名を目標としているが1万を越えるのではないかとおっしゃっていた。

2012年5月2日水曜日

小名浜メーデー


昨年、ウシトラ旅団初の被災現地入り大行動となった「小名浜メーデー」に行ってまいりました。
今年は、旅団長とソメビンの二人。
この春、次々に作戦やらイベントが続き、おじさん主力のウシトラ旅団はちょっと一息入れないといけません、という状況でした。
それで、このメーデーから一年間お世話になった労働組合のみなさんに、とにかくお礼だけは言いに行こうと、二人きりでの参加ということにしたのでした。






思えば、ウシトラ旅団は、いいかげんな成り立ち、ゼニも力もないのよ、なのであります。
にもかかわらず「現地の再生に力を尽くす組織、人々を意識的に支援する。そこをテコとして、ボランティア活動をやる!」と、宣言(?)していました。
要するにですね、「他人のふんどしで相撲を取る!」と、堂々と宣言したのでありました。
もちろん、自分たちでできることは、自己完結でやるし、やってきた。
でも、もっと大事なことは、人をつなぎ合うことです。


昨年のこのメーデーに参加して、旅団長は「この困難の中で、たとえいまあなたがた労働者が首切りにさらされていても、他の人々のために、がんばらななきゃダメだ!」と、喚きました。
メーデー開催の主力になる組織された労働者は、他の労働者や、被災者や、漁民や、農民や、とにかく一緒に生きていかなければならない人たちのために、踏ん張らなければいけません、と言ったわけです。
この気持ちに少しも変わりはありません。


いわき自由労組のみなさんは、その呼びかけに(つまりウシトラ旅団の図々しい主張に)、この一年間、応え続けてくれたのでした。


「え、なんだぁ、メーデーなのに4月に集会?」「いやぁ、大手(連合)が連休頭に集会を入れるだろ、んで、5月1日に俺たちがやろうとすると、他が仕事をやっていることになるから、中小の企業はよその会社に仕事を取られる。メーデーも労働者が出て来られなくなって、おじゃんになりかねない。今のところ5月1日に一番近い日曜日にやる、というのがギリギリの決断」。ふ~む、原則だけじゃ難しいもんだ。「じゃ、いつの日にか『5月1日にゼネストやってほんとのメーデーに!』がスローガンだな」。「そう、そういう意味合いのスローガンを上げて集会をやっていたこともあった」。なんて話を、いわき自由労組の人たちと語りつつデモなんであります。






同時に、いわき自由労組は、全港湾の組合員や医療生協の人々(小名浜地区労の加盟組合)に協力を仰ぎながら、富岡町泉玉露仮設住宅自治会の活動を一緒に支えてくれたのです。


図々しいウシトラはまだ満足していません。
これからももっと多くの仲間に協力を求めます。
その方法が互いの関係を強め、なおかつ、それぞれに学び合い、自分たちの組織と活動を強くして行く道だと思うからです。


彼らと一緒に、そしてまた新しいお仲間と出会いつつ、ウシトラ旅団は進むのであります。
                                                                     ★旅団長




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以下、ソメビンなさけな隊隊長よりの報告


4月29日(日)小名浜のメーデーに参加してきました。
昨年同様リスポの隣にある公園に集合。300人の労働者が集まっていました。
原発の再稼働反対・廃炉、TPP反対、リストラによる合理化反対などを採択してデモに移りました。





デモ行進の後バーベキューなどをゴチになり、くじ引きなど行い和気あいあいという雰囲気でした。
若い人達を中心にした運営やこの春就職して組合に加盟した若者の挨拶などもあり、小名浜も徐々に復興しているのかな、と思いました。
ウシトラ旅団としてはいわき自由労組への日頃の感謝を申し述べてまいりました。


被曝は許さない。子供もその父親に対しても。



このメーデー集会には首都圏からも労働問題(特に被曝労働)に取り組んでいる人達も参加していて色々と情報交換もできました。
「ウシトラブログ見てます」
「面白い、楽しそう」
と言わば最大の賛辞をいただきました(笑)。
「どうしたら仮設に入れますか?」そうも聞かれました。
ウシトラの経てきた道筋をざっと説明し、いくつかのアイディアや助言まがいのことを偉そうに、少し話してきました。
改めてこうした状況を仮設で作りあげる事ができたウシトラのような存在は珍しいのだと思いました。