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2012年8月30日木曜日

8月25・26日 3つの活動


★3つの行動
ウシトラ旅団はいわきで大事な3つの仕事をやっていました。
・8月25日に「みんなが復興の主役 3.11被災者を支援するいわき連絡協議会(みんぷく)の会議
・翌26日 泉玉露応急仮設住宅での「賠償問題に関する勉強会」
・同じく、泉玉露応急仮設住宅での臨時整骨院「肉球班」
の3つです。
加えて、それらのことを泉玉露応急仮設住宅自治会の活動と意識的に結び合わせる大事な会議「自治会・支援者活動調整委員会」(カッチョイ会議)がありました。

これらはボランティアとしてのウシトラ旅団の実践行動から言えば、相互に密接に関連しあっていることがらです。

旅団長は残念ながら、仕事の都合で、どの活動にも参加できずに旅団員の報告を聞くだけでしたが、仮設の人々の意識と行動が大きく変化し始めたのではないかという感想をもちました。

★みんぷく
現在、「みんぷく」にはNPOやボランティアの20団体ほどが参加してきています。
いわきでもっとも多くの仮設住宅がある中央台で、震災直後から被災者支援をやってこられた地元の方が呼びかけ、すでに中央台に「みんぷく」の事務所が構えられ、活動し始めたのです。
単純に、NPOやボランティア団体だけがあれこれと会議をやっていくということではなく、社会福祉協議会や行政との連携しつつの活動です。


風が吹き抜ける高台にできた「みんぷく」事務所

あたしゃ口が悪いので、はっきり言ってしまいますが、要するに民活だ! 民間実践派主導でこれからやるので、行政は俺らのサポートをやんなさいよ! ということとして理解しています。
なんでそんなことになったのか。(ううう、言いたいけど、やめとこ。だいたい、想像できるでしょ)。
ここには、私たちがずっと入り続けている泉玉露応急仮設住宅自治会もメンバーとして、参加していることも、大きなアドバンテージだと理解しています。

今回は「みんぷく」の中に、課題に取り組むべく「部会」を設置するために、ブレストをやろうということでした。
私たちとしては、泉玉露応急仮設住宅に入って活動している経験を伝えながら、その課題に応えたいと思っています。
というわけで、「こどもサマーキャンプ」で獅子奮迅のおん働き、ときおり猫寝で子供たちのおもちゃになっていた、意気地なし隊ワタナベさんを送り込みました。
はじまった「みんぷく」の中で出会う新しいお仲間たちと、力を合わせていきたいと思います。

★損害賠償勉強会
この試みは、すでに大熊町の人々に向けて、会津若松市の仮設住宅で2度やってきました。実際に、これが大変に好評で、ぜひ泉玉露応急仮設住宅でもやろうという話になったのです。
泉玉露仮設住宅では(つまり富岡町町民にとっては)、この時期にやるのが切実な要望でもありました。
9月1日に、賠償・区域区分・除染についての「国による説明会」が予定されており、それにむけての「準備」の役割をはたすことになりました。
自分たちで勉強し自分たちで動かなければならない、という決断の背景には町当局のていたらくがあるようです。
町は住民が望むような動きをまったくみせず、国に対して、しっかりとした要求もしないという現実に、被災者である住民が直面しているからです。
「泉玉露仮設通信」の最新号には、こうあります。
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☆私たちの声を国にぶつけよう!

すでに役場からも郵送で案内が届いている通り、「賠償・区域見直し・除染」に関する国からの説明会が9月1日に行なわれます。
本来であれば、国からの説明の前に富岡町と住民との間で、まず話し合われるべき内容ではないかと思われます。
残念ながらそのようなことが行なわれず、いきなり国の説明会という段取りとなり、町が住民の意見を汲み上げることや、富岡町独自の考えといったものを国に示すような動きが、伝わってきておりません。
富岡町は住民の声をよく聞き「国と東電は、富岡町原発事故被害者の要求に直ちに応じ、生活を補償しろ!」と、先頭に立って要求してほしいところです。
このような状況の中で行われる説明会が、住民にとって満足のいくものになるかは非常に疑問ではあります。
しかし、説明会に、当自治会から多く参加して、住民の意見が少しでも多く取り入れられるように頑張りたいと思います。

尚、この日に向けて参考になると思われる「賠償問題勉強会」が行なわれます。
日時:8月26日(日)11:00~13:00
場所:第二集会所
主催:ウシトラ旅団
お気軽にご参加ください!
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と、いうわけで旅団長は、この日の勉強会に向けて、事前にチラシを入れつつ何人かの方とかなり突っ込んだ話をしていました。




そこで出ていた話は以下のようなものでした。

・仮設は困難な状況にある。先が見えずに老人が体調を崩し死者も出ている。
・町は国に対して独自の立場をとって要求をしようとしていない。いま、9月1日に「住民に発言させろ、時間を確保せよ」と町と交渉中
・「まず、賠償と生活補償だ。いつになるかわからず効果もしれぬ除染、それによった区分やら、話している場合か。賠償を主張する」
・「町が今後、国に対して独自の要求と立場で闘うことはありうるの思うのか?」の旅団長質問に、答えは「ノー」。しかし、
・9月1日は「国に要求する」第一歩。まず、この「説明会」で住民が頑張りきることををやってみなければ次につながらない。

といったようなことだったのです。

当日の勉強会の最中に、ソメビンからちょっと興奮気味の電話がかかってきました。
「入りきれなくなるかもよ。60人近くいる。これから資料コピーを増刷りしてくるわ」。
内容は「やはり理解するのがむずかしい」という感想がありつつ、「やっと相談できる人が現れてくれた」と、講師の伊藤さんに期待する声が聞こえてきたそうです。




9月1日の「説明会」がどのような形になるか、わかりませんが、質問も許さないという町の方針に、簡単に住民が「はい、そうですか」と納得し引き下がるとは思えません。
説明会以後もこの問題は続きます。どのような道筋を通ろうと、私たちは彼らと一緒に進むだけです。


★臨時整骨院
報告ではいつもを倍する方々がいらしたようです。
特徴的だったのは、勉強会直後ということからか、男性が多かったということでした。
ノボせんせはぶっつづけで夕方まで働きづめだったとか。





Sのおばちゃんにはチラシ入れの時に、「当日は一時帰宅、でも夕方までには帰ってくるから、顔を出しますよ。ユッコさん(ノボ妻)と約束してるし…」と言っていた通り、戻ってきて、自宅の様子を語ってくれたそうです。
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昨日はSさん一時帰宅の日でした
少し話が聞けました

防護服は帰りの車に乗るまで脱がないそうです(暑いのに大変)
滞在時間は5時間までだそうです

お父さんは家の周りの草刈り
お母さんと娘さんが家の中の片づけだそうです
「玄関、部屋、押し入れも何処もねずみの糞だらなの」
「タヌキがガラスを割って入っていた事もあったの」
「天井も畳も腐っててダメだ」
「あれじゃ帰っても住めね」
Sさん夫婦、とってもとっても疲れた顔で帰ってきました




違うお母さんは
「持ってきたい物はあるんだけど仮設が狭くて置く所が無いから持ってこれないの」
回数を重ねるごとに朽ちて行く自宅に帰る気持ちってどんな気持ちなんだろうと妻とよく話します
今年の夏にくっついた倉庫。ロッカーごときものにいったいどれほどのものが保管できるのか

少しでも暮らしやすく。でも、この基礎はだたの木材。一方で後付けの倉庫はコンクリートの基礎。
何をやってんだか。人が暮らすということをどんなふうに考えているんだァ?!


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★カッチョイ会議
ソメビンが出席。
10月に行われる「泉ふるさと祭り」での仮設からの出店についてウシトラに要望がありました。具体的になりましたら、またまた皆様のお力をお借りすることになりと思います。
という報告。
むろん、ここでも9月1日「説明会」に向けての動き、その後をどうするか、という話が討論されています。
ほぼ、ウシトラ旅団で考えた方向で進んでいるようなので、ちょっとほっとしました。


小陰で風を待つ。実はこういうところで大事な話がされていたりする

これからが本当に正念場。
仮設自治会の強化、そこと連携していく住民組織づくり、ということが具体化していく手伝いをしていきたいと思います。
ちゃんと暮らせるように保障しろ。
賠償を直ちに行え。
長期に住めるような住居を準備しろ。
そんな要求になるでしょう。

「あなたがたがそのように肚を決めて動くなら、ウシトラは全力で応援します!」
仮設住民の数人と話した時に言った言葉は、ウシトラ旅団としての約束としなければなりません。

☆直近の行動
9月2日、いわき市好間工業団地第2自治会集会所で、伊藤久雄さんによる「賠償問題勉強会」をやります。
大熊町民に向けての3度めの勉強会、いわき市の大熊町民仮設においては初めての勉強会です。

2012年8月29日水曜日

こどもサマーキャンプ日記(6)

★火の周りで、踊れや歌えや、ドンジャラホイ
山村道場も日が暮れて、薄雲の向こうにまんまるの月が上がってきた頃、地上では炎を上げます。
広々とした草地の真ん中に、大きな火を焚いても大丈夫なようにしてあるのです。

この最大イベントの担当は、もちろんマリオさんであります。
そして、彼がつないでくれた「こめらの森」代表の大西さんと、ボランティアの大学生のお兄ちゃんがまた、やってきてくれました。







大西 さんが再び、火をおこしてくれて、子供たちが組み上げられた薪に点火します。








マリオさん、子供たちに呼びかけます。
「さぁ、やるぞ。自分の好きなものを順番に空から落とすぞ。『なぁにが、なぁにが、落ちたァ?』。そら、受け取れ、逃げろ」

車を落とす奴、チョコレートを落とす奴、ゲーム機を落とす奴、雷を落とす奴……、キャッチしたり転げまわって避けたりして、ほんに草地ならではのパフォーマンス。


★子どもの歌に、オヤジたちはただ涙
旅団長が仮設に迎えに行った時、バスの陰で子供たちは、ラジカセに合わせて踊っていました。
「そうか、これだったか」。旅団長は火に照らされて、歌い踊る姿をみながら思っていたのであります。
子供たちはキャンプファイアーに向けて、♪マル・マル・モリ・モリ を練習していたのでした。
大西さんと学生さんもすっかりやんちゃ坊主に戻って、踊りまくります。



ディズニーの歌踊り、宮崎駿ご一家アニメの歌、と次々に繰り出され、んだんだなにがあっても、♪歩こ、歩こ、あたしは元気、だぁ。
何が出てきても大丈夫のミュージシャン・みいきしゃんが、ピアニカで伴奏を付けていくのであります。





お兄ちゃんたちの歌踊りに、ソウヤが「ぼくも歌う」と独唱を志願。
曲は「野に咲く花のように」。
なんだ、これは。あんまりぴったりきて、オヤジどもただただ涙しておったのです。
気になって調べたら、こんな歌詞でありました。
(*子供の名前はすべて仮名です)

♪野に咲く花のように風に吹かれて
 野に咲く花のように人を爽やかにして
   そんな風にぼく達も
   いきてゆけたらすばらしい
   時には暗い人生も 
   トンネルぬければ夏の海
   そんな時こそ野の花の
   けなげな心を知るのです




かくして、芸なしウシトラ旅団は、ソメビンせめてのボーイスカウト「正調・鬼のパンツ」。
子供たちはあっけにとられていたふうでありましたが、長い付き合いの旅団長もはじめてのソメビンによる鬼のパンツ。
なんだか、日本舞踊的、名取の美しい踊りでありました。



「さぁ、定番。『今日の日はさようなら』を歌おう」と、ミヤシタ車両長の声がかかります。

「え~、知らないよ」
「いいんだ。覚えて帰れよ~」




♪い~つまでも たえることなく、友だちでいよう~

同じような時代を生きてきた大人どもは、少し小さくなった炎を囲んで自然に手をつなぎ始めました。
子供たちもならいます。
苦しい時、辛い時こそ、手をつなげ。鉄則であります。

★星とホタルと動物の声と
この夜、子供たちは立派なロッジに寝袋を持ち込んで寝ました。
夕刻から、パトカーが周囲を巡回し、クマへの警戒を呼びかけていたのです。
火を消してぼんやり空を見ていたら、また今夜も遅くまで遊ぼうという伝の男の子、3人が傍にやってきます。
いつの間にか、雲が流れ、空に星が輝いていました。
「あれが北斗七星。で、あれが北極星。妙見様。で、もすこし東にあるのが、ウシトラの星!」
あいかわらずいいかげんでありますが、少なくとも、あの子たちは北極星を見つける方法だけは覚えてくれた(かな?)。

スタッフの大人たちは、それなりの時間まで、ホタルがやってくるテントサイトで、ここの自然を語り、空を見上げて宇宙を語り、そして、鹿の声や夜鳴く鳥の声を聞きつつ、仮設で育つ子供たちのこれからについて語り合いました。
長い時間のタームでみる「総括会議」も、われわれには必要だと思わされた時間でした。

★たった3日間のキャンプだったけど
夜が明ければ、すぐにメシに、お絵かきなどの反省会(?)に、テントの片付け。
子供たちは
「なんか手伝うことありますか?」
お星様3人組がやってきました。えらい、えらい!
他の子達も、率先して自分のできることをやってくれます。



子供たちには
「お父さん、お母さんはいま大変な思いをしている。そのなかでも、一番に思っているのは君たちのことだ。だから、なるだけ自分のことは自分で。少しでも、手伝いができることがあれば、頑張ってやろうぜ」と言って来ました。
少しでも、そんなことを彼らが感じる糧になれば、と思いつつ、このキャンプはやって来ました。

無事に仮設に子供たちを送り届けて思うのは、仮設の人々と一緒に進むということのありかたでした。
キャンプの中で子供たちと仲良くなったことは、それぞれの親御さんともぐっと距離が縮まるということでした。
かえってそれで、もっと重い課題を背負うこともあります。
でもね、助けてくれる人たちはたくさんいる。

今度も、カネのない私たちのためにいっぱいお金を集めてくれた芝浦工大OBのみなさん、彼らと一緒に動いている明大や日大のみなさん。手伝いに来て下さった方もおられました。
みなみやま観光は見積のところから徹底的にリーズナブルにやれるようにプランを作り、子供たちの安全のために、キャンプを覗きに来ては配慮してくださいました。
お風呂の世話になった温泉宿、釣りや水遊び・魚の串打ちまで快くサービスしてくれた養鱒公園の方々、送り迎えのバス会社まで一番安いルートを探しだしてやってくれました。

そういう人々の意欲と心意気にキャンプは支えらました。
心から御礼を申し上げます。

キャンプの写真を第1集会所に張り出して、母や父に見てもらっていたら
「楽しかったらしくて、作文を書いているのに、用紙が全然足りなくなったんですよ」と、あるお母さんに言われました。
うれしいありがたい言葉でありました。



ともかくも、大きな事故なく、けが人なく、キャンプをやりきれたのがなによりの成果でした。
仮設の解散場所で、子供たちにコールをかけました。
「泉玉露の子供たち、グー!」
マリオにしつけられた通り、間髪をいれず、元気な声が響きました。
「いいね!」

2012年8月24日金曜日

こどもサマーキャンプ日記(5)

★初源の力よ、子どもに宿れ
ありがたいお風呂をただで頂いて、キャンプ地に戻り、ひと遊びすれば、今夜のメインイベントに向けて、一休み。




養鱒公園から合流してきたシゲッチ隊員は、大阪から届いた帽子をいっぱい抱えておりました。
子供たちのキャンプの思い出に、帽子なんぞ、寄付で出してくれないかと、旅団長がモンベルのちょっとえらいさんにお願いしていたものでした。




「はぁい、ちっちゃい子から並んで。自分のお気に入りをかぶってみて」
また、ここでも旅団長は驚いたのです。
さささ、と一列になって、俺が先だの、あれがいいのだの、諍いのかけらもないのです。
当たっているのどうか、わかりませんが、この子たちは避難所暮らしを経験してきた子たちです。
このように、静かに並ぶことも、ささやかなわがままをいうこともないことが当たり前になっていたのではないか。
いや、そんな経験を経て、自分の仲間うちでも小さな子を優先していくというような、心の中のルールがあるのではないか……。
なんだか、しんみりした気分。

そんな話を後日、会計長に言ったら、
「特に田舎の子供は、自分が無視されるとか、ないがしろにされるということはないと、しっかり信頼感があるんだよ。まわりみんなに愛されて育っている」と。
うん、そうかもしれない。



ま、それはどうあれ、「大阪はこっちの方向だな。お礼を言おう」と言えば、打ち揃って、大きな声で「ありがとうございました!」と、おじぎをするのでありました。


★火起こし名人、登場
で、最後の晩。この夜のメシはメインディッシュは自分たちで釣ってきたマス。
おまけにそれを料理する火も自分たちで起こすのであります。

すぐ近くに「こめらの森・南会津」というNPO法人があり、自然体験を通して子どもたちの“根っこを育む”活動というのをやっておられます。
震災後は、特別企画であまりにお安いお値段で、一週間まるごと子供たちを預かって、生きる力をつけようというプランをやり続けております。

その代表が大西さん。
その昔、テレ東のTVチャンピオンで「野人チャンピオン」に輝いた好漢であります。冒険野郎であります。
火起こしはお手のもの。ん千メートルの零下の頂上で、ゴシゴシ火起こしなんぞをやられてきた人であります。


インタナショナル火付け師は、人類が世界各地で行なってきた火起こしの方法、各民族がいかに火を大事に使ったか、それにまつわる伝説や民話の話をしてくれました。




そして、まずは火を燃やすための枝や薪を探してこい! でありました。神聖にして、生活の道具である、人間にとっての特別な存在である火を手に入れる第一歩なのであります。







拾ってきた薪はよりわけて、炉に着火して燃え上がりやすいように組み上げます。

いよいよ、火起こし。




大西さんは天に祈り、地に願います。
声は出さずとも、まだ神々が我らの周囲に普通におわした頃の火へ憧れと畏れを子供たちの胸に刻みつけます。

ソウヤが「恐い、恐い」と半べそをかきながら、ママのうしろに逃れようとします。
そうだ。その感性が正しいんだよ。その感受性が大事なんだよ、とそこにいたスタッフは、口に出さぬままみな思っていたようです。
(*注 子供たちの名前はすべて仮名です)





しかし、まぁ、そこからがやはり大変。
こどもたちの奮闘ぶりを見てやってくださいな。





入れ替わり立ちかわり、ゴシゴシやってもほんの少し、煙が出てくるだけ。
才能を発揮したのが、最年長の5年生リカでありました。



こうして女の子たちの炉には火が入ったのでしたが、男のほうがうっすら煙が出てくるが、火種にするところまでなかなかに行き着かないのであります。

「ご飯が食べたぁ~い」


大きな声で切実な声を上げながら必死に、あじさいの棒切れをこすりつけるのでありました。
しかし、ここでも天性のフレアがあがるのです。
リカの助けを借りたとはいえ、いつも控えめな、ノブオがぐいんぐいんと煙をあげて、ついに火種まで持っていき、シュンとの連携プレイで炎までもっていったのでありました。

見ていると、火起こしは力ではありません。
丁寧にやろうとする集中力が火の神に届き、愛されることでありますね。


こうして、やっとありつけたのが、お昼に釣り上げた「ニジマスの塩焼き」でありました。
たまには、カメラマン鉄兵のお姿もみなさんに紹介いたしましょう。
炉の番、魚焼き、あまりにぴったりでありました。
なんか、鉄兵はテキ屋の親父さんもやれそうだね。



んなこと言っている間に、魚も無事に焼き上がり、さぁ、みんな食え食え、メシも火も、今日の君たちの奮闘努力の成果だぞ。










食ったら、さあ、いよいよメインイベント中のメインイベント。
キャンプファイアーの始まりだ!