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2012年10月25日木曜日

霞が関・官邸前からいわきへ(2)




★「泉ふるさと祭り」(いわき市泉駅前)へ

官邸前行動の翌日、泉玉露応急仮設住宅の西山さんをピックアップして、いわきへ向かいました。
車の中では例のごとくに、官邸前をめぐるあれこれのエピソードに花が咲きました。
西山さんや、木幡さんは、あのスピーチの後、ずいぶんと長い間、某記者から取材を受けたり、写真をとってくれた山本さんやら、スピーチエリアの「音頭取り」の方々と、お話をしておりました。

西山さんは、20日、21日と連絡員の仕事はお休みだという話しながら、結局、泉ふるさと祭りで忙殺されることとなったのでした。
ソメビンと旅団長は、その泉ふるさと祭りの準備で、いわきへと向かったのです。

ソメビンの個人ブログには、こんなふうにあります。

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10月21日(日)いわきの泉で行われたふるさと祭り。
今年はこの地で避難生活をおくっている富岡のひとたちにお誘いがあり、出店の運びとなりました。

ウシトラ旅団には仮設自治会から「こども向け」の出店を考えてくれ、という要請があり結果「富岡のこども達によるお店」
というコンセプトでクラフト アトリエをひらくことになりました。

前日から看板を作ったり、飾りの仕込みを一緒に・・・・・・
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前日から駆けつけたのは、他に、マリオこと渡辺さんとその友人、
子供たちは、「マリオだぁ」とまとわりついておりました。
準備のために声をかけていた子供たちは、近所の子供たちを引っ張ってきたらしくて、顔を知らなかった子も一緒に、マリオやソメビンと作業をすることに。
けっこう、ご近所さんの子供たちも、この仮設住宅に遊びに来てくれているようです。



車にテントやイスを運びこむ作業も、約2名、やる気の男の子が大人に混じって、頑張ってくれました。

再びソメビン・ブログより
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今回もテントをいわき自由労組にお願いし、東京自由が丘からは「自由が丘子どもアトリエ」のOさんがクラフト指導に参加してくださいました。ご紹介いただいた練馬保養プロジェクトのTさんにも感謝です。

ウシトラ旅団としては、チラシを作成(毎度Aさんありがとう)、当日運営(参加してくれたみなさんごくろうさま!)としてバックアップさせていただきました。

また小さな子にはつきっきりでお世話いただいた富岡町のクラフトチームのお母さんにも感謝。お母さんたちのクラフト店も大繁盛で「さくらさかせるぞう」やエコクラフト篭は完売状態だったようです。


仮設住宅のみなさんが元気に地元の祭事に参加する。とても大事で有意義なことであると思います。こどもたちも一役かってくれたのだと思います。
こどもたちは本当によく働きます。サマーキャンプ以来の「仲」になったこともありますが、とても協力的でしかも自分達が何をしているのか良く理解しているように私には思えるのです。

今回こどもたちには借りができたので、これは近々何かお返ししないとな・・・・・・


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泉ふるさと祭りは、予想していたよりずっと大掛かりでした。
泉玉露応急仮設住宅が出した出店は大人気でした。
ふと、気づけば、西原のお母さんが店先で手を握り合って、何か語り合っておりました。
きっと、震災・原発事故避難から久方ぶりの邂逅だったのでしょう。ここではこんな出会いもあるようでした。

当日、駆けつけてきたノボせんせ、女将さん、ナースの鈴木さん、シゲッチがあたふたと子供たちに対応していました。
彼女たちも、サマーキャンプで、泉玉露応急仮設住宅の子供たちと一緒に過ごしたのでありました。




泉玉露応急仮設には、ぞうさんとともに作ってきた、かご作りの名人がたくさんいます。子供たちにはちょっと難しいクラフトも、ばっちり教えてくれました。

連絡員の方たちが中心で準備した、輪投げも実に盛況。
甘い認定で「いいよ、好きなのもってけぇ」。
そりゃそうだ。鍋の素より、大きなぬいぐるみの景品のほうが子供たちにはうれしいもん。


鶴ヶ島広報隊作成のチラシを仮設外の友達が撒いてくれたのでした。

旅団長他数名は、この日に開催された「ふくしまフォーラム」に参加するために、途中リタイア。
こちらはマジな議論をするために、涙ながらに、祭りの地を去ったのでありました。

2012年10月23日火曜日

霞が関・官邸前からいわきへ(1)


写真は全てフォトジャーナリスト
山本宗補さんに提供いただきました
http://asama888.cocolog-nifty.com/blog/

★一緒に「国会前スピーチエア」へ
10月19日、この日の私の仕事は、冨岡の西山圭さんと、大熊町の木幡ますみさんを案内すること。
ますみさんは院内集会のあとに、某国会議員とお話があるとかで、そちらへ。
旅団長は経産省前で西山さんの到着を待ちました。

日が暮れて、そろそろ坂の上で声が聞こえ始めた頃、迷子になったますみさんが到着、続いて特急列車の中も駆けていたんだよの、西山さんも合流。
ささ、アピールの場へ。
一時期の身動きならぬという賑わいとは違った様子で、むしろ、きちんと話が聞いてもらえるなぁのスピーチへ。
「通りすがりの者です」は通用せず、すぐにますみさんは捕まって、「スピーチしてくれ!」に相成ったようです。

私は「もちろん、そのために来たんだもん。西山さんもやるよな!」。ダメ押しです。
二人とも落ち着いてとてもいい話をしてくれました。
揃って並んで、演壇に立ち、大熊と冨岡の住民の姿を語ってくれました。
「貧乏だと思って、原発を持ってきたんだ。事故後も勝手にしてろ、といわんばかり。私たちは人間なんだ。人間扱いを求める。大熊の人たちは被曝しながら事故処理に当たっている人がたくさんいる。差別でしか成り立たない原発はやめよう」
「原発事故後、仮設も借り上げ住宅の人も大変。いわき市の住民との関係もある。そこではそれぞれがなくてもいい分断に苦しんでいる。福島にいる人、福島から来た人の話をたくさん聞いてやってほしい」
できれば、肉声を聞いてみてくださいな。
http://www.youtube.com/watch?v=kPPHZ4yjEmI&feature=relmfu



★大熊町と富岡町からのゲストは、だから来た
「官邸前行動に行ってみたいんです。とにかく見てみなきゃ」。
そんな話を泉玉露応急仮設住宅にいる西山さんに聞いたのは9月の始め頃だったでしょうか。
「ただ、見るだけじゃなくて、スピーチエリアでしゃべりなよ」という提案も、確定的な答えはなかったけれど、きっとやってくれると期待しておりました。

西山さんも、旅団長も、東京と福島(全国)はもっと話をして互いを知らなければあかんという共通の思いがあったのです。
19日に彼は仕事を切り上げて、東京へ向かうと話を聞いて、せっかくだから、小さな交流会を東京でやろうと言っていたところに、会津若松より電話がかかってきました。
木幡ますみさんが、「どぉも、どぉも、お世話になりますぅ」という例の早口で「東京に行く用事があるので、会いませんか」というお誘いでした。

聞けば、「☆福島の子どもたちに笑顔を☆ ~保養と移動教室の拡充を求める院内集会」という集会に出られるそう。
んなわけで、旅団長はますみさんに合流して、一緒に話を聞いてみようと思ったのでした。
ウシトラが実はまっさきに取り組もうとしたのは福島の子供たちの「集団疎開」でした。
けれども、あれこれ動けども、力なきボランティアの悲しさ、成果は上がりませんでした。
実はそれはどの人たちも同じで、その動きは個々の家庭の決定による「脱出疎開」と「一時保養」という形の取り組みになっていったのでした。

院内集会は会場から溢れる人が出るほど。関心の大きさと取り組んでいる人たちの意識の高さが見えました。
なかでも伊達市の校長や教育委員会の取り組みが光っていました。



http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012102002000096.html
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1456

官邸前行動がはねた後、小さな交流会をやりました。
十数人の集まりで、ちょっとアルコールなど入れつつ、いい話がたくさんできました。

南相馬市出身のSさんは、震災直後から一年半、ある業界紙に浜通りの状況と動きを書き続けてきた人、YさんやNは経産省テントによく行っている人。生協で働きながらほとんど原発問題のエキスパートになってしまったMさん。いわき市に入り続けているウシトラのメンバーETC 多士済々でありました。

それぞれの問題意識は違うけれども、重なりあっているところはたくさんあって、福島と東京(全国)をどうつなぐかを話すことができました。
この感覚をもって、俺らも、福島へ行かなければならんと、改めて思った一日でした。

2012年10月12日金曜日

10.10 郡山市で初作戦 『損賠勉強会』

★10.10 緑ヶ丘仮設・損賠勉強会


 郡山市の緑ヶ丘応急仮設住宅は、三春町に近い開発団地の高台のてっぺんにあります。住んでおられるみなさんは、全員、富岡町の方々です。戸数130、250人程。中規模の仮設住宅といえるでしょうか。全員参加の自治会をもっています。

 講師は伊藤久雄さん。郡山では初の勉強会ということになりました。
この日、集まって下さったのは20数人。私たちがよく行く泉玉露応急仮設住宅と同じ仕様のプレハブ集会所に、御ザブをしきつめての勉強会でした。
 


 午前10時、かんたんにウシトラ旅団の活動と、伊藤さんの紹介を行なって、勉強会を始めたら、いや食いつきがよろしいのなんの。
 ホントにみなさん、用意した資料に熱心にメモを取りながら、真剣な目をして伊藤さんの話に聴き入ります。

 実はいつもと違ってウィークデーの午前中に行ったのは、仮設はご高齢の方々が多いので、そのほうがいいだろうという郡山の「おだがいさまセンター」の助言を受けてのことでした。
 意外に壮年の方が多くいらして、活発な意見交換ができました。
 
 1時間半の「講義」を終えて、質問・意見の時間を取ったら、たくさんの感想や意見がでました。
「このままでは(国の算定基準)、生きていけなくなる」
「火災保険の計算を基準にするようにしたらいい」
(弁護士や被災者グループはさまざまな「算定基準」が話されており、実際、火災保険での全焼算定要求を出していこうという考え方を主張している人たちもいます。)

 あるいはまた
「町会議員はもっとこの仮設などを巡って、住民のために働いてくれなくては」
「町が先頭に立ってやるように、尻押しをしていくことだ」
「双葉郡は一つだといいながら、町ごとにバラバラ。やっぱり町民がまとまって、そっちの方向に行くようにしたい」



 どれも現実の中から出てくる切実な声です。
 こういうとき、旅団長はちょっとだけ、冷たいことを言います。
「そりゃそうです。でも、みなさんが自分自身で声を上げていかなければ、そういうふうにはなりません。できるだけまとまって自分たちの言葉で要求をしていかなければ、ボランティアとしてもやり甲斐がないですよぉ」。

 よく仮設の人たちも、そのことはわかっているのです。泉玉露の5項目のスローガンは「ああ、噂にきいてるなぁ」という話が出たときは、ちょっとだけ嬉しくなりました。
 たまには振り返ってみましょう。

一、 政府はわれわれへの生活保証を行え
一、 東京電力は被害に応じた補償を直ちに行なえ
一、 富岡町当局は、国・東電に補償実現を要求する先頭に立て
一、 国・県・富岡町は、双葉郡住民のための暮らしと健康を守る施策を直ちに実施せよ
一、 双葉郡はひとつだ。ともに力を合わせてこの困難を生き抜こう!

 ここの緑ヶ丘仮設ももちろん頑張っているのです。生活上の要求、8項目だったか、全てを実現させてきたと伺いました。
 こうした自治会の活動は被災者全体の利益を代表していくものですし、そうしなけりゃと思います。
 この仮設の自治会長さんは
「自分のことだけじゃなくて、それこそ私を捨てて、みんなのために動く人がリーダーじゃなけりゃダメ」とはっきり言っておられました。実際、いくつかの仮設住宅を見ていると、会長がどんな人かで、その仮設の空気が大きく変わっていることがわかります。

 この自治会が明るい雰囲気を持っているのは、会長の北崎さんのキャラクターに負うところがとても大きいと感じました。
 洒脱で明るくて、そして、いつも「みんなのために」を考えておらるようです。だからこそ、私たちの賠償問題勉強会も「やろう!」という話になったのだと思います。



★力を合わせ、互いにテコになって 
 私たちが、会津若松(大熊町)、いわき(冨岡町)から始めた「勉強会」を郡山に拡大したのは、冨岡の住民をつないでいくことの一環として考えてのことでした
 仮設をつなぎ、借上げ住宅の被災者をつなぎ、そして双葉郡の人々をつないでいく。言うのはかんたんですが、やるには大変な課題だと思っています。
 でもね、始めちゃったんだもんね。

 郡山にいる楢葉出身の方が勉強会にも出席してくれました。
 楢葉の実家の様子を語り、
「いろいろ仮の町やら言われているけど、なぁに言ってるんだと思う。双葉郡の富岡町の役割やらを考えると、言われていることがまるでマンガのようだ。現実とかけ離れている」と発言してくれました。
 つまり、冨岡町は、もともと郡役所があり、大きな店があり、病院があり……と、双葉郡の中心の役割を果たしてきた。その冨岡がほとんど人が戻れない状態なのに、「どこに再建の現実性があるのか」ということです。
 私たちがかんたんに情緒的に思い込みがちなコミュニティの再生など、「ほとんどマンガ」ということを双葉郡全体の人たちは知っていると言うのです。

 実は旅団長はあまりよく知らないその人にずうずうしくお世話になって、講師たちより先に郡山へ行き、話し込んでいました。
 要は「あなた達も被災者で大変でしょうけど、一緒に進むために協力をしていだけませんか」というわけです。
 こういう人たちが郡山で頑張ってくれるのは何よりの戦力です。
 その人達と仮設住民との「交流」も2日間に渡ってできたのです。この仮設で毎週行われている「サロン」にまず通ってくれるというので始まりとしては上出来です。

 互いの苦労や悩みを語り、いやいや大きな口を開いて笑い合うということをまずやってほしいと、お願いしました。
 被災者も状況が違います。語り合ってそれぞれのことを知り、できる支援を行い、協力して進むこと。
 東京も全国も、被災地と被災者をお互いに知り合うこと。そもそもそこからしか始まらないじゃないか。

 東京からのウシトラ旅団もまた、へなちょこなテコの一つではありますが、頑張っていくのであります。

2012年10月1日月曜日

台風直前 中秋の泉玉露仮設

9月30日 いわき市泉玉露にある富岡町応急仮設住宅へまいりました。

毎月定例の「臨時整骨院」開設 、 自治会との「活動調整委員会(カッチョイ)」が行われた。
旅団長はじめ、ノボ先生夫妻、キャンプ以来こどもたちに人気抜群のマリオ先生とそのご友人、東大病院の看護師さん、
旅団長夫人。久々に仮設の人達と顔を合わせる人もいて、賑やかな支援活動となった。



当日は台風が迫っていたが、中秋の明月。仮設のご婦人は臨時整骨院の受付を風流なものにしてくれた。
萩にすすき。だんごに添えて・・・・・仮設暮らしの中でも季節の行事は今まで通りやっていく。たくましくも
やさしい富岡の人達。



そのノボ先生による臨時整骨院は今日も盛況。治療を終えたかたもその場に残りいろいろな話をしている。


その間行われたカッチョイでは様々報告が行われた。
自治研センターの伊藤さんによる「財物賠償勉強会」以降、仮設住民の有志による独自勉強会が行われていること。
ウシトラはこうした自主的な動きを大きくバックアップしていきたい。この動きが様々な情報を集め、仮設・借上げ間の
よりどころとなり、町の枠を超え懇談会のような形がとれたらいいのだと思う。

「ほっこりカフェ」という地元のボランティア団体(聖テモテボランティアセンター)がバックアップしている活動がある。これは仮設ができて間もないころから行われてきたものだが、そろそろこれも仮設として自立した形にしていこうという動き。

*じつはこれは「ウシトラ旅団」にもいえることで、今回から臨時整骨院も一部有料の施術を設けた。継続した支援には    どうしてもそれなりの資金が必要で、様々な方策をとっていく必要がある。

そこで、これまでにも多くの協力をいただいた読者のみなさまに、いまいちどカンパのお願いをしなくてはなりません。

どうぞ継続的な支援活動のためにご協力お願いします。カンパの方法などは当ブログにてご案内しております。


帰り道、いよいよやってきた台風。なんとか酷くなる前にみなさんご帰宅の様子。お疲れさまでした!

somebin