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2013年4月30日火曜日

泉玉露仮設『自治会旗』物語


富岡町・泉玉露応急仮設住宅自治会の『自治会旗』について、少し書いてみます。振り返ってみると、自治会と支援との関係など、この旗はいろいろと考えるヒントになってくれるのです。

冒頭に掲げた写真は、昨年夏だったかと思いますが、富岡町が主催した「仮設自治会のど自慢」の決勝大会に掲げられたものです。各仮設で予選が行われて、この晴れの舞台(?)、被災者は自慢の喉を披露したのでありました。
そこにしっかり自治会旗は掲げられていたのです。

先日の中央メーデーで、仮設のおっかさんたちが作る「さくらさかせるぞう」を売り切ったのも、この自治会旗のおかげが大きかったと思います。連合西北ブロック地協のみなさんはじめ、多くの人の善意と協力で完売できて、感謝しております。
その時、この旗があるとなしでは結果が随分違っていたように思います。

見ての通り、旗と称しているけれど、実は横断幕です。これを追い込み網にして、お客さんを売り場へと誘ったのでありました。



この旗が自治会によって初めて掲げられたのは、2012年1月6日、仮設で行われた餅つきの場でした。自治会が自分たちでやったもっとも大きなイベントでした。
ウシトラ旅団は、まだ泉玉露仮設住宅に入り始めて日が浅く、初めての大掛かりな「作戦」でした。

この餅つきの準備会議の様子について、こんな報告をしています。
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12月の打ち合わせの折に、喧々囂々のお好み主張、時の氏神の如くに現れた副会長の奥様の女丈夫が一言の下に抑え込んで、この三種と具材の決定で事無きを得たのでありました。
いや、この方、素晴らしい!
当日の餅つきも開始から締めまで獅子奮迅の働き。
そう、その12月の打ち合わせの時に言っておられました。
「男は搗くことと食べることしか頭にないんだから、餅つきをやるには女性を集めなければいけません。だんどりと進行は女性しかできません。男はなんでもその人たちの言うことをきいて、動くよという気でいてください。ええ、大丈夫ですよ。声をかければ20人くらいはすぐに集まってくれます」
まったく彼女の言うとおりだったのでありました。

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事前の会議は、自治会役員(男衆ばかり)と、テモテ教会、ウシトラとそのお仲間(いわき自由労組)で、行われたのですが、なんだか船頭が多くてエベレスト山に登りはじめた時に、見かねた西原副会長が「かみさんを連れてくるわ」で、なんとかなったのでした。
いま、「さくらさかせるぞう」制作などで、仮設の女性陣の中心にいる千賀子さんとの出会いでした。



その会議の席でわたしは「賑やかにやりましょうよ。旗や横断幕を作りしましょう」と提案して、それを準備することになったのです。
もちつきの幟と、意気上がるような幕を用意しようと思ったのでした。

私の頭にあったのは黒澤明映画『七人の侍』のが6つに△がひとつ付いた旗でした。野武士に襲われて、危機に陥る村の藁葺き屋根に翻った旗です。危機に負けず力を合わせようという気になる旗!
わたしは、まだ、できたばかりの泉玉露応急仮設住宅で、人々が一つになれるような旗印を上げたかったのです。

会議の中で横断幕のイメージを出したのは役員の重鎮・横須賀さんだったと思います。「がんぱっぺ! と、サクラ」です。
それから数日、鶴ヶ島広報隊のアライさん(デザイナーにしてブログやHPを一手に引き受けています)にしつこくやり直してもらって、データが完成したのでした。

もう年末、もちつきまで数日。間に合うかどうかという綱渡り。安くに確実に仕上げてくれるところを水戸に探し当てて、連絡をとりました。返って答えが素晴らしかった。
「わたしも双葉の出身です。心を込めて作らせて頂きます」。
ソメビンがよく言う「俺達は人の善意を拾い集めてやっている」の1例でした。
泉玉露応急仮設住宅の自治会旗は、当然のようにイベントのたびにあげられるようになりました。


自治会長の役目を昨年8月に途中で引き受けることになった川上さんが、玉露仮設ののど自慢予選で優勝し、代表として大会に出場したときには、自治会旗は一緒に会場へ向かったのです。


噂によれば「あんた、そんな大変な役を引き受けるなら、離婚だからね」(笑)と脅していたという奥様も、この自治会旗の前、先頭に陣取って、いとしい夫の舞台に声張り上げて応援したのであります。
入賞は逃したのでありましたが、
「あんなりっぱな旗があったのは、うちの自治会だけだったよなぁ」と、みなさん語り合ったというのです。





自治会を代表するシンボル。「生きる!」という意志を表すものとして、根付いてほしかった。
そして、フェイスブックの「富岡町泉玉露応急仮設住宅自治会」の写真はこれです。




ウシトラ旅団一周年記念報告会、「一緒に生きようライブ」にもやってきました。被災者のことを忘れないで、と100回言うよりこの旗がここにあることがアピールになりました。こうして、たまに東京に出張ってきて、自治会旗は私たちと一緒にいます。

忘れてはならないことがあると思っています。
仮設暮らしの日常の中にいる人々こそが、この旗の持ち主だということです。
こうしてプレハブの通路・路地で、自分たちが作った漬物やお菓子を持ち寄って、無理矢理にでもおもしろいことを見つけて笑い合って「今日も生きていく」と、心を決めている人たち。
あるいは、餅つきのような大きなイベントを背後でしっかり支えている、お母さんたちの生きようです。


初めての餅つきの後、イベントを支えきったお母さんたちのささやかな打ち上げ。


とにかくよく笑い声があがる路地の青空カフェ

仮設に行く、というのなら、この路地の青空サロンにこそ参加して、語り合って欲しいのです。
写真は、関西からやってきた学生さんたちを案内したときのもの。おっかさんたちに、
「まぁ、かわいいねぇ。泊まっていきなよ。うちは広いから寝られっぞ」なんて、歓待されるのであります。


現場で学べ学べ 学生さん

「さくらさかせるぞう」の販売を引き受けているグレイス教会の増井さん(牧師さん)に、言われたことがあります。
「泉玉露仮設がどうしてうまくやってこられたのか、記録に残したいですね」。

何より、この仮設住宅の人たちの明るさを引き出した住人たちの努力があったのだと思います。
また、仮設設立の初期にけして表にでしゃばらずに、きちんと活動を行った現地のテモテ教会のボランティア、そこからつながったグレイス教会のあり方がとても大きかった。
私たちはその基礎の上に、外からやってきてできることを少しだけ派手にやったということなのだと思います。

住民の力、支援とは何かをそれなりに考えることの出来た「大人」の仕事でした。
「がんばっぺ! 富岡町泉玉露応急仮設住宅自治会」の旗にはその経験が染め抜かれています。

2013年4月28日日曜日

さくらさかせるぞう完売! 自治会旗は偉大だった


★「さくらさかせるぞう」メーデー会場に登場

4月27日、84回メーデー中央大会で「さくらさかせるぞう」を販売して来ました。新生ウシトラ旅団(NPO準備)の会員になってくれたKさんが、連合の東京西北ブロックに話をつないでくれました。
東日本大災害支援のテント(出店)のうちのひとつで、西北ブロック地区協議会が、このタオル掛けを売ってくれるということになったのです。

泉玉露応急仮設住宅のおっかさんたちが作る「さくらさかせるぞう」が、こういう大掛かりなイベントに登場したのは、ひょっとして初めてだったのかもしれません。

売り子として、ウシトラからも数人。旅団長も行って来ました。
実際に泉玉露の様子や福島の被災者を取り巻く状況について、少しでも語れる人間がいないと、こういうお店の意味はありません。



9時前にはすっかり支度ができたのですが、集会会場に人々が向かい始めても、売上げはいまひとつ。
そのうち、どどどっと人が流れていくのに、店を覗く人は、ぱらぱら。
どどどッのぱぁらぱぁら。こりゃ、寂しいぞ。

ええい、流れを変えちゃえ! 網を張れ! 追い込み網だぁ。
テントの奥に下げてあった泉玉露応急仮設住宅の自治会旗をはずして、仕掛けたのであります。

「仮設住宅でつくっているタオル掛けです! 原発事故で避難している富岡町の人たちがつくってまぁす!」



おおお、人だかりができてきた。
おとなりの野菜やパンの「福島支援」のテントとともに、売れてきた。
自治会旗と呼んではいても、これは横断幕。自治会のイベントのときにはいつも飾られます。
こいつが目立つのだ。当然である。俺達が目立つように作ったんだもの(笑)。

自治会旗の威力は偉大なり。
人の流れをテントに向けた上に、被災者の状況について、聞きに来る人も出てきます。

そうそうこれをやりたかったのです。



売れ残ってしまうのではないかと心配した当初と違って、一度、勢いがついたら、飛ぶように売れるのです。
集会がはじまってまもなくの11時すぎぐらいには、完売したのでありました。

なにより一緒に店を出したり、現地のことを語った人たち(連合のいくつかの単産の組合員)の中に、
「できることをこれからも協力してやっていきたいですね」
というありがたい言葉がでてきました。

震災のことが風化している、福島の声が届いていない。そんな話を聞く。
そりゃそうかもしれないが、なぁにいっていやがる、という気分も旅団長にはあるのです。
中央メーデーの会場に行ったのは初めてのこと(好きになれんもん)。でも、こうして来れば、心ある人とつながれるのです。


ぞうを作るおっかさんたちに、メッセージのひとつも、と置いた色紙に書き込んでくれた購入者もたくさんいました。
子供連れの人たちに、ぞうさんは人気が高かったです。
ぞうさんをねだった子供たちの心の中に育っていくものに、わたしは望みをもっています。      ★旅団長

2013年4月21日日曜日

『特定非営利活動法人 大震災義援ウシトラ旅団』へ



★ウシトラ旅団はNPOへ
大震災義援!ウシトラ旅団は2011年4月11日に結成され、以来、多くの支援とご協力をいただいて活動して来ました。
まことにありがとうございました。こころより感謝いたします。
ウシトラ旅団はNPO法人へと生まれ変わり、今後の長期戦に備えます。
任意団体としての「ウシトラ旅団」は東京都による認証が済み、登記を完了した時点で活動を終了し、NPOとして新しい支援活動へ挑戦することになります。
これまでの多くのご支援、ご協力に重ねてお礼を申し上げます。

NPOウシトラ旅団は、3月21日神保町で設立総会を13人の出席で行い、すべての議案が可決されて、現在東京都による「特定非営利活動法人」の認証を得るための審査にかかっています。
設立総会は、これまでウシトラ旅団の活動に積極的に参加してきた人、協力をしてくれた人たちに声をかけ、会員になることを了承してくださった人で、総会に出席できる人たちに集まってもらって開催されました。

その日から、任意団体としての「ウシトラ旅団」の整理と、NPOへ向けての具体的な準備を行って来ました。
設立趣旨書、定款などNPOについての基礎資料は、新たにつくったホームページに掲載してあります。
NPOウシトラ旅団がこれから取り組もうとする事業活動について、柱を立てて整理して掲げてあります。
また、これまでの活動でエポックメイキングになったものを掲載し、2年間の活動を振り返ることもできます。


NPO認証、法人登記は目安として夏7月頃と予想しています。

★NPO会員への参加を!
長期に渡る活動を会員として支えてください。
会員には正会員と賛助会員があります。HPより申し込みができます。

http://www.ushitora-ryodan.org/311/modules/mailform/index.php?controller=form&id=1
なお、会員募集の情報をぜひ拡散してくださいますようにお願い申し上げます。

★メールマガジン
新たにメールマガジンを発信します。メルマガは申請者にはどなたにでもお送りいたします(無料)。
希望される方はHPより申し込んでください。
投稿もできますが、事務局によって管理されます。
必要・有意義な投稿文はメルマガに乗せて発信されることになります。


★ともに進みましょう!
現在、計画しているもっとも大きな「作戦」は、会津美里町の大沼高校演劇部の劇をお盆に下北沢で5日間に渡り上演することです。最終日には昨年4月同様の「ウシトラ活動報告会」を行う予定です。
その前にもさまざまな活動が控えています。
7月仮設の「こどもキャンプ」も大きな課題です。
どうか、新生ウシトラ旅団に、これまでに倍する応援と協力をお願い申し上げます。

2013年4月15日月曜日

心にさくらをさかせましょ・泉玉露仮設花見


★仮設住宅での今年の「花見」

今年の泉玉露仮設住宅の花見は、ちょっと奥ゆかしく、仮設内での開催。
何しろ、花がない所でやっても、「花見」と言ってはばからないくらいに奥ゆかしい。




昨年はかなり大掛かりにやったのですが、
今年は総会の日程と桜の時期が重なってしまい、おまけに会場と仮設を結ぶシャトルバスが手配できず、この形になったのだそうです。

けれども、花見は花見。
いつものクラップスの少女たちや、三春ひょっとこ踊りのEさんなどの「芸達者」が盛り上げました。

さぁて、ひょっとこに従う「おかめ」はだぁれだ? あまりの可愛らしい変貌ぶりに、ボランティア一同呆然(笑)


むろん、テモテやグレイス教会のボランティアも、やっぱり一升瓶を抱えてやって来ました。


駐車場の一角に、ブルーシートの風よけをしつらえ、ヨークベニマルご協力の寿司やオードブル、おっかさんたちの手作りの漬物などが並んでおりました。




いつもこんなイベントの司会役を背負ってきた連絡員の西山さんがめずらしく相当にきこしめしておられます。
呂律が回らぬ司会というのも実によろしい!


この4月で連絡員をやめ、たぶん、ちょっとだけ「肩の荷がおりた」というふうにみえました。
それでも、自治会の事務局には残ったので、相変わらず重責をはたさなければなりません。
先週、自治会総会が行われ、役員さんたちがそろって留任したそうです。

★自治会長たちの覚悟

花見を盛り上げてくれる三春ひょっとこ踊りのEさんが珍しくマイクを持ちました。
いい挨拶でした。
「わたしは30年、踊ってきてひょっとこ踊りの(存在)意味がわかってきたように思いました。たいへんなときにこそ、ほんの一瞬でもいい。笑ってもらえればいい。みなさん、ふつ~にしていればいいんですよ。普通にくらしましょう。もう、こうなんだから(片足を踏み出し、棺桶に片足を突っ込む仕草)」
庶民の中の踊りや祭りの基礎をまた教えてもらった気がします。




川上自治会長は、「元気でいましょうね」の挨拶。
あれこれと話してみましたが、「ここで死者を出さない」が彼の一貫した姿勢です。
仮設住宅はとても年齢層が高いのです。

仮設で死んではならない。そのために自治会はある。
難しいことは言わない。
その一点で、この自治会活動を続けていく、と考えているのです。
この問題は、むしろ仮設から復興住宅へと向かうさなかで、本当にのっぴきならない課題になっていきます。
数人の自治会役員の方々と話してみると、よ~く身にしみて感じておられるようです。

この意識と響きあうようにして、会長はじめ多くの人達が口にした「夜の森桜」の除染皮剥への違和感があります。
あんな桜にして花見に帰ろうもあるもんか。
「なんか、根本的な所で間違っている気がするんだよ」(川上会長)。

クラップスの子供たちに「ありがとう」と丁寧に挨拶する川上会長



★「子ども」とは希望のことである

花見という名の宴会がはねて、そのすぐ脇の第2集会場から子供たちの歌声が聞こえてきます。
第1集会場からこの日のために移されてきた「夜の森桜のトンネル」の大パネルが飾られていました。
小さい子たちは、意識せぬまま、この桜のイメージの中で、いつまでも歌い続けていました。


仮設を出たソウヤもやってきて歌う。ちょっと見ない間にずいぶん大きくなったなぁ。呂と律の旋法を歌い分けられない世界まで行っちゃった西山さんも乱入
数世代がいっしょに暮らせるような住宅と、子供たちが自然にそだっていく、まともな環境をつくりだしていくことに取り組まなければと、あらためて思ったのでした。