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2014年8月17日日曜日

8.14 楢葉町の墓参り随行

★楢葉町の友人の墓参りに同行してきました

お盆に「帰省」……彼の場合、なんて生易しい状況ではありません。
けれども、とにかく墓参りと、これから彼らの親が住んでいた楢葉の家をどうするかを考えるために、自宅に行くというので、一緒におじゃまいたしました。
S夫妻と息子さん、そして私の4人組です(人物写真は今回、掲載しません)。
息子さんは、事故以来、初めての楢葉入りだそうです。





何事もなければ、里山のとてものどかな風景の中にある集合墓地です。
「いいお墓ですねぇ」と声をかけましたが、なんでも、この数日に草が刈られてかなりきれいにされたようす。
地震で墓石が倒壊したままのところもありますし、もとに据えられた石もよくみれば、損傷しているものが多い。

そして、何より、墓地の線量はその周囲より一段と高いのです。残念ながら桁が違う。


そういえば、お墓の片付けに、かなり早い時期に入っていた泉玉露仮設の方が「依頼されたお墓まで辿り着くのに苦労する」と語るとともに、小さな我が子のことを考えてか、帰宅したら直ちに外で着替えていたことを思い出しました。


楢葉町のこの墓地は、富岡町「放射性廃棄物最終処分場」計画地のすぐ前にあります。

というより、彼らの話を聞けば、この処分場計画地への入り口は、楢葉側からしか道がなく、現実的な感覚では「楢葉の処分場」のイメージなのだそうです。
写真の奥にある高台を越えたところが予定地だといいます。
お墓を大事に思う人が多く、「先祖が入っているお墓を、どうしたらいいのか…」という話もよく聞きます。
お盆になれば当たり前に墓参りをやり、そして、子どもや孫が帰省してくるのを心待ちにする、ささやかで何よりも大切な暮らしが、まるごと破壊されて、おじいちゃん、おばあちゃんは仮設住宅や借り上げに住んでいます。
いや、実は、もっと原発事故で惹き起こされた現実は酷くて破滅的でした。


★自宅を見るたびに、心を打ち砕かれていく……

S夫妻の実家に行きました。片付けなければならないと思っても、何から手を付けていいのかわからない、ただ荒れ果てていく実家をどうにもできない状態が続いているようです。
実は、Sさんの父は、震災の二週間前に亡くなって、祭壇も花もおいてあるなかで、避難させられたのでした。
なにもかも分からない混乱のなか、ただ、すぐに戻れるという希望だけをもちながら、年老いた母は、一緒に住んでいたおばと一緒に、隣家の助けで、ここから脱出したのだそうです。




以来、彼女は家へ戻れず、体調を崩し、認知症も出て、Sさんが走り回ってようやく入所できた施設で暮らします。時折、気持ちが高ぶると「わたしはひとりで楢葉に帰って、あの家で暮らす」と言いながら。

Sさんが言います。
「戻って見るたびに惨状は進んでいる。何度も泥棒に入られ母や叔母が持っていた宝石をはじめ金目の物は全てもっていかれたし、そのたびにグチャグチャに散らかっていく。雨漏りやネズミなんかにやられてどんどん家は朽ちていく感じだ」
いえ、それどころか、Sさんの母の病気と老いの急激な進行は原発事故がもたらしたものに違いないのです。Sさんのおじ(父の兄弟)は、避難所でなくなり、おばもまた衰えてなくなったといいます。


原発事故は一家をほとんど壊滅に追い込んだのです。
Sさんの妻の口からは「こんなところに帰れって、よく言える」と町への怒りが噴出します。
起きてきたこと、いまの現実にまともに向きあえば、気が触れてしまいそうになる憤りを、S夫妻は胸の内に抱え込んでいるようです。
これが原発事故以来の、浜通りのひとびとの有り様です。