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2014年10月9日木曜日

大沼・ザベリオ演劇部、泉玉露応急仮設住宅へ


★避難者の話を聞き取りしている大沼高校演劇部
『シュレーディンガーの猫』を上演してきた福島県立大沼高校演劇部顧問の佐藤先生から「泉玉露仮設へ行きたい」と話があったのは8月のことでありました。

「震災から3年経って、『シュレ猫』で描いたときから福島の状況、被災者の状況も変わってきている。その問題を演劇にしたいのです。3年後の弥生を描きます。子供たちは仮設に入って、話を聞いています」というのでした。
ついては、私たちが通ってきた、いわき市にある泉玉露応急仮設住宅に行ってみたい、という要望です。
震災に関わる芝居は、よく大沼高校と共同公演などやっているザベリオ学園も取り組んでおり、今度の泉玉露仮設住宅行きも、ご一緒ということになりました。

「寸劇もやる」ということになって、アレンジして、先日、泉玉露仮設住宅においてきたのが、このチラシです。いつもの「街角カフェ」のおばちゃんたちに、これもチラシを渡しつつ、大沼高校は、特に子供たちの話を聞いてみたいというので、チラシを渡しがてら、子供たちにも声をかけてきました。
実は、仮設から出る家族が増え、回覧板が有効に機能していないようです。
チラシを掲示してもらうことと、翌日、いわき市のお仲間に増刷りして、集会所においてもらう手はずをして、私は会津へと向かいました。


●寸劇の開始は午後1時半です(FBで先に流した、午後2時より30分早くなりました)

★大沼高校演劇部員相手に「レクチャー」もどき
泉玉露行きを前に「講演」がセットになっており、そんな大それたことができるわけはないのですが、なれぬパワーポイントなどもちこんで、自分たちが現地を観てこれまで感じたことを話してきました。
これも佐藤先生の
「子供たちは、仮設に行って泣いて帰ってくるんですよ。それはいいんですが、感情でほだされるだけではダメだと思うんです。どう事態を捉えるのか、といった少し整理した話をしてほしいのです」という要請に応えたものです。


写真に写っているのは開始前の準備中の子供たちですが、このあと、別の部屋で「玉露用寸劇」の練習をやっていた3年生も合流、20人を超える大きな演劇部になったなぁ、の印象を強くします。
彼らは熱心にメモを取りながらつたない話を聞いてくれました。

なんでも、二人一組で多くの仮設住宅に入って話を聞いてきたのだそうです。高校がある会津美里町には、楢葉町の仮設があるのですが、大熊町仮設にも入ったといいますから、会津若松まで足を伸ばしていたのです。
それも、自分たち自身で連絡をしてアポイントを取っての取材だったそうです。先生は何の手出しもなし。そこここで、あの元気のいい大きな挨拶の声が響き渡ったのでしょう。

★泉玉露で演じる『缶けり』
「講演」なるものを終えて、生徒たちと雑談しておりますと、斉藤さんが
「平田さん、『缶けり』は見てもらいましたっけ? あれ、私、好きなんです。もう演らないのかなと思って残念だったので、今度の(泉玉露)公演をすごく楽しみにしてるんです」


そうか……、実は事情があって、主役級の彼女の出演がまだ危ぶまれていて、一年生の代役も準備しているのです。ぜひ、演らせてあげたい。

「上演するためにずいぶんと縮めなければならなかったんだって?」の質問に
丸山さんは
「先生の台本をばんばん切りました。三年生が手を入れて、作った劇になりました」とカラカラと笑い、
斉藤さんは
「自分たちで作り上げていくのがホント楽しんです。ぜひ、観てほしいです」。

二人は『シュレ猫』の重要なキャストでありました。なかなかに気が強く、芯も強く、下級生への「下命」の声は恐ろしく、そしてやさしい子たちでした。一年上の『シュレ猫』主役級メンバーが卒業してからも、この演劇部を中心でひっぱってきた「女傑」でありました。
それぞれに進路を聞きましたが、「おお、そこに挑戦するか!」と応援したくなる道でした。

駅に送ってもらう車中、佐藤先生は
「あれから『シュレ猫』の上演許可が次々に増えてきてるんです。コンクールで負けても、こうして作品が生き残って上演されていくのは初めての例かもしれません。これで、よかったんだ、と思います。私のやっていることは、教育の一環としての演劇です。そして、生徒たちは、福島のことを誇りに思って、使命感をもってやろうとしています」

そうでありたい。賞なんて実はどうでもいい。毀誉褒貶、わがことならず。
生き残って、被災したものの心の中を伝え、人々とつないでいくことだ。
つい、さっき、生徒たちに伝えた「大沼高校演劇部とウシトラ旅団はお仲間だ!」をもう一度、噛み締めた一瞬でした。